月組大劇場「JAZZYな妖精たち」「REVUE OF DREAMS」

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389. 月組大劇場「JAZZYな妖精たち」「REVUE OF DREAMS」

ユーザ名: 金子
日時: 2005/10/24(13:46)

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 こんにちは。芝居はもう・・・お子様路線か、名画「ET」みたいに妖精が巻き込まれる型にしないとどうしようもないと思います。それと、アメリカ人って、夜のセントラルパークをネグリジェ1枚で歩くのか?疑問尽きない作品です。では。

「JAZZYな妖精たち」
「REVUE of DREAMS」

月組 宝塚大劇場
10月20日(木)→1階12列47
10月23日(日)→1階A席

宝塚ミュージカル・ファンタジー
「JAZZYな妖精たち」
作・演出/谷正純

<解説>
 アメリカに夢を求め移民してきたアイルランドの若者たち。子供の頃、妖精の存在を信じていた彼らは、社会の中で生きていくうちに純真な心を忘れ去ろうとしていた。そんな若者たちが妖精の力によって夢や愛を取り戻すまでを描く、心温まるファンタジックなミュージカル。
 アイルランド南部の孤児院で共に育ったコーネリアスとシャノンは、妖精王オーベロンが住むと伝えられる丘の上で、夢を語り合うのが日課だった。5月1日、妖精の祭りで、妖精たちの踊りの楽しさに引き込まれたコーネリアスとシャノン、そして二人と同じくアメリカに夢を馳せる孤児のクーフリン、ウィンクル、ロージーが踊りの輪に入っていく。妖精の祭りを覗き見た人間は、二度と人間の世界には戻れない掟があった。しかし妖精王オーベロンは、5人の純真なまなざしに、妖精を信じ続ける限り夢は消えない、と人間の世界に戻すのだった。
 10数年後、ニューヨークに5人の姿があった。コーネリアスは政治家への夢を追い、シャノンは童話作家を目指しながら雑誌社に勤めていた。クーフリンは警官からマフィアへと身を堕とし、ウィンクルはゴシップを雑誌社に売り込む脅迫まがいの仕事を、そしてロージーはブロードウェイを目指すものの仕事もなく、パブの女給で糊口を凌いでいた。
 そして15年後の5月1日。ニューヨークの高級ホテルで5人は偶然再会する。この日を境に、5人の運命が急変することになる・・・・。(ちらしより)→この文章と実際の「あらすじ」は主人公の名前から違います。これはやめてほしい。

<メインキャスト>
パトリック・ゲール(下院議員候補):瀬奈じゅん
シャノン・マクニール(童話作家):彩乃かなみ
ウォルター・クーフリン(一匹狼のギャング):霧矢大夢
ティモシー・キャラハン(ゴシップ記者):大空祐飛
ミック・オブライエン(警官):月船さらら
ロージー・ウィルコックス(コーラス・ガール):城咲あい

<感想>
「現実主義者にはどこがおもしろいのか分かりません」

 10月上旬にこれを観る前に、星組ドラマシティ『龍星』を観に梅田に行った。すると、久しくあっていない友達に声をかけられた。「ねえねえ、月組行った?もう(これを)書いた?」と来た。私が、「いや、下旬にしか行かない」というと、「そうかあ、いやあのね、あ、やめとこ、あんた書くやろな、現実主義者やもん、文章読んでいると」といわれた。なんのことか良くわからなかったが、以下は現実主義者の考え、として読んでいただきたい。

 ちらし(上記参照)をみても、「歌劇」を読んでもぴんとこなくて、漠然と思ったことは「同じ谷先生の『白夜伝説』(92年)アゲインか?」ということだった。『白夜伝説』は当時の主演男役紫苑ゆうさんのコスチューム姿の美しさと、この作品で売り出した新進娘役花總まりのかわいらしさでもったようなもので、「早くショーにいってくれ」と思っていた、一言で言えばバツの作品であった。一方、同年の『PUCK』(小池先生)は当時「さすがシェイクスピアが原作だ(『真夏の夜の夢』)」と思って、何度もビデオをそのあと見たマルの作品だった。13年してどうして前者と後者が違うのか、理由が分かった今回の作品であった。

 理由は1つ。「妖精の世界」と「ダーティな現実に直面する人間世界」がほとんど並立しているからだ。パトリックは薬を塗れば妖精が見えるだけであり、実質的にはシャノンだけが妖精たちとコミュニケーションを取り、病名やら、余命まで教えてもらえるが、あとの男たち4人は、「妖精によって」なにかが起こるわけではない。パトリックを除く3人の、いわゆる「改心」も、「妖精を信じる心を取り戻した」からではない。ミックが一番明らかであるが、「他の人間によって」である。これでは「妖精」と「人間」に歌詞にはある「クロス・ロード」=接点がなく、今の設定では土台、「妖精によって」観客から共感を得ようというのは無理な話ではないだろうか。

 つまり、妖精と人間の接点、どちらかがどちらかの世界と関わる、ことがなければ、この「妖精」を使う話は共感できないのである。『PUCK』はパックが人間社会にやってくるから話が成り立つのである。改善案として2つ出しておこう。
 まずは、今の題名のままでやる方法。5人の妖精がニューヨークにやってきて、人間にあこがれて、人間になったものの人間の現実に直面して・・・。しかし、どんな現実も純粋な心で乗り切り、周りの人間たちも感化する。かなりつらいがこんなところ。
 つぎは、タイトルを『JAZZYな妖精』にしてしまう。アイルランドの子供の時代からシャノンを好きだった妖精がいて、その妖精はシャノンが好きなパトリックに妖精の話を一杯してやってパトリックに話させることで喜んでいたが、オーベロンたちと一緒にニューヨークに来てシャノンを見守っていると、ある日突発事故でパトリックが死んでしまい、シャノンの悲しむ姿を見ていられない妖精は人間になりパトリックに成り代わるもののなんだかぎくしゃくするが、その純粋な心は政治家として人間を感化し・・・。これなら1人2役が可能で面白いかな、と。

 特に終盤、ウォルターがピストルを捨てたあと「風が吹いてきた」で5人が前向きに生きよう、というところで終幕ならいいが、そのあと、全員出てきて(マクガバンといつ和解したのだ?)、さっきまでハードボイルドをやっていたウォルターまでもが笑って歌って踊って大円団、なのかとおもったらシャノンの最期となり、主要人物だけはその死を見守り、あとの全員はパトリックの要請によって明るく歌って踊るなかで終幕、というのは1回目みたときびっくりした。いくら、芝居だ、フィクションだ、現実とは違う、とはいわれても、あまりにも最後にご都合よく帳尻あわせで、しらじらしささえ感じてしまった。リバーダンスだけが見ものなので20点。

 上に書いたように、題名を聞いただけでぴんとこなかったが、やはりそうで、ヒロインが白血病という設定は「いまさら『世界の中心で愛をさけぶ』でもあるまいし」と思ったし、「もしかしたら、面白くないまま終わるのでは?」と思ったらそうだった。あとは人別に。

 瀬奈じゅん。妖精を信じる「清く、正しく、明るい」青年。はじめ銀橋を渡るとき、主演としてもオーラがあまり感じられなかったが、パトリックとしてやっていくうちに、役として存在が確かになっていった。役に自分を近づけるタイプなのだ、ということが分かった。マクガバンを「あなたのことを父親のように思っていました」といいながらも、たもとを分かつ苦渋の選択をするところはこの人物の公正さと情の深さが感じられてよかった。ダンスはレベル以上だが、歌・芝居は主演としてのレベルの線上だと思うので、意外と個性の強い役のほうが自由にやれていいのかもしれない。

 彩乃かなみ。親近感を感じる、どこにでもいそうで、短い人生を真摯に生きている女性。彼女が芝居でこれだけ泣くのは初めて見た。シャノンとしての気持ちが乗っているのだろう。歌は十分だが、芝居は気持ちが乗りすぎて、台詞と絡んでいないところが少し見られたので、45日間の公演を通してのペースをつかむことが主演として大切なことであろう。実績を積んできた人なので心配はしないが、魅力ある低音を使った悪女など観てみたい。

 霧矢大夢。一人アウトローをしていなければならない役で、客をそこへ集中させるのが難しい役だ。一言で言うと人物像がつかみにくい。霧矢のことなので、きちんとこなしているが、やはり、もっと人をものともしないで殺すところとか、台詞を増やして、ギャングになった経緯を話したほうがいいと思う。結果論になってしまうが、やはり、霧矢と大空は役を入れ替えたほうがニンだったか。

 大空祐飛。出たところ勝負で、金のためなら何でもやる人物だが、マクガバンのところにゆすりにきたところで、どうしてそうなってしまったのか明白になるので人物像ははっきりしている。大空はマクガバンのところとそれ以外とは変化を上手くつけている。昨年のフィッツジェラルド役からなにか扉をひとつ開けたように感じる。

 月船さらら。ウォルターとかつてはつるんでいたが、ある警官のおかげで改心し、警官になってもウォルターをかばう役だが、これは最後で人物像が分かる。上級生に混じって存在感はあったが、この学年にして2度の主演を積んでの退団、とはこの人は「宝塚」を「宝塚の男役」を愛していたのだろうか、ということをつくづくファンとしては疑問に感じる。

 最後に、城咲あいの超はじけて、能天気のロージーが作品に元気を与えたことを書いておきたい。

 

グランド・レビュー
「REVUE of DREAMS」

<解説>
 人は夢を見て生きている。未来に託す夢。恋の夢。幼き頃に見た夢。夢に向かって突き進む、強く情熱的に・・・・。そして、やがて叶う夢、また破れ去った夢・・・・。アメリカン・ドリームを夢見る若者たちの力強いエネルギー、砂漠に浮かぶ幻の夢を追い続ける男達の悲哀、夢を追い求める姿を歌と踊りに託して繰り広げる、華やかな夢のひとときのダンシング・レビュー。(ちらしより)

<感想>
「ちょっとガンガンしすぎ」

 構成的には、全員総出のプロローグ、中詰め、フィナーレ、ラインダンス、主演コンビのデュエットダンス、大階段での男役の総踊り、と宝塚のショーに求められるものは全部あって、その間にブロックがあり、という分かりやすいショーである。昨今流行の「物語仕立て」のショーでないことは観る側としてはラクでいい。

 しかし、である。一言で言えば、上に書いたようにほとんど全体がロックで、ガンガンしすぎである。金子は長いファン歴だから、まずショーで少々ガンガンされても家に帰って野球中継など見られるが、今回は家に帰ってぱっとテレビをつけたらバラエティー番組の騒々しさに耐えられなかった。

 物事は何でも緩急がいるのである。芝居にしても、小説にしても、歌にしてもそう。ショーだっていわば詩のようなものだから緩急が必要である。つまりは、「静かな場面」「少人数の場面」「いろんな曲調を使った場面」が必要である。中村一徳先生といえば、大劇場デビューのころの『プレスティージュ』や『レ・シェルバン』といったショーでは、スタンダードナンバーを使ったエレガントな場面が多かったのに、あの路線はどこへ・・・。1場面でもいいから、エレガント・シックにいっておけばまだなんとかなると思うのだが。また、上に書いた間のブロックもどちらかというと抽象的で2・5章は似た印象を与える。75点。

第1章 プロローグ
 いきなり、ロックから。新生月組をアピールするには、まあはじめはこれでいいと思う。瀬奈じゅんは、ショーになると芝居のときに感じなかったスター性を感じた。ショースター型の主演者になるのだろうか。また、彩乃かなみも宙組時代までは「歌手」というイメージが強かったのだが、こんなに踊れる人であると思わなかった。この組はこれからショーで売る組になるのかも、と感じられた。

第2章 AMERICAN DREAM
 霧矢大夢中心にちょっと国が芝居と重なるが、いってしまえば「よくある設定」というやつである。霧矢もこれだけ元気に動いてくれれば、昨年危惧したことは杞憂だったと安心させられる。

第3章 FOREVER DREAM
 はっきりいって、ここは抽象的過ぎる。「静かな場面」といえばここになるのだろうが、もっと具体的にお願いしたかった。音姫すなおのソロはいい。大空祐飛の存在が不思議でいい。
しかし、後半のほとんどセットがない舞台で瀬奈1人だけで踊るところはちゃんと舞台空間を埋めていて、「ああ、この人は『ショーの花組』の出身だったよなあ」ということを思い出した。

第4章 未来への夢
 プログラムを読むと「宇宙の装置」とあるのだが、2回みてもなんかアラビアの建物に電飾が付いているように見えた。ここもロックで押しまくり、であるが、正直、芝居で使っていないのでジャズか、シャンソン、ボサノバ、ラテンあたりでいったほうがいいと思う。フィナーレと同じ黒の衣装だし、衣装も一考の余地ありか。
 最後の、月船さらら以下の若手男役の銀橋での歌は、「あ、あの人何というのだろう」と観光客が思ってプログラムを買いに行くぐらいのアピール合戦をもっと繰り広げて欲しい。

第5章 砂漠の夢
 まあ、ここはプログラムを読めばわかるが、抽象的だ。これも「よくある設定」の感じがする。もっと、主演コンビをがっちり組ませて、初恋を踊るようなシックなシーンのほうがよいように思う。

第6・7章 フィナーレ
 ロケットでやっとスタンダードナンバーが出てきたので、落ち着くか、と思っていたら、大階段以後はスパニッシュでガンガンだった。デュエットダンスぐらい、同じ曲でいいからスタンダードナンバーにして、瀬奈の銀橋での決意の(?)ソロが欲しい。

 ということで、「希望・要望」だらけになったが、「こういうガンガン踊りまくってくれるのはいい」という方もおられることは承知だ。でも、緩急が欲しい、と思うのは金子だけではないと思って終わる。


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405. 月組東京宝塚劇場「JAZZYな妖精たち」「REVUE OF DREAMS」

ユーザ名: yasuko
日時: 2005/12/24(17:15)

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本日、月組東京宝塚劇場「JAZZYな妖精たち」「REVUE OF DREAMS」を観てきました。

前半の芝居は途中で見ているのが恥ずかしくなり、漠睡したので、結局最後どうなったかわからずじまい。
せっかく幕開けカッコよくリバーダンスでスタートしたのに、もったいない。大空さんと霧矢さんのシーンは結構見ごたえあってカッコよかったのに、肝心の主役を中心としたストーリーが面白くない。それに安直に”白血病”って言葉を使ってほしくない。本田美奈子さんがなくなられた直後だけに、複雑な気持ちになって見る気が失せた。ヒロインが病気で死ねば涙が誘えるなんて、アイドルの安っぽいドラマや映画じゃあるまいし。。

後半のショーは最初から最後までばりばり全開で、悪く言えばメリハリがないんだけど。。結構私は好きでした。やっぱ男役の群舞はすばらしい。娘役の群舞の淡いピンクのドレスも品があって好きでした。
なんだか、群舞が堪能できたら、前半のおそまつなできのしばいもきれいさっぱり忘れて、気持ちよく帰ることができました。ああ、また私だまされてる。

帰りに「鳳凰伝」と「炎にくちづけ」のDVDを買って帰りました。
それにしても和央さんの骨折はショックです。有給休暇までとって4枚もチケット買ったのに。。。さよなら公演にむけて治療に専念してください。ディナーショーは痛々しいので、できれば観たくない。できれば、休んで完治させてください。
それにしても、男役は男じゃないんだから、ジャニーズじゃあるまいし、フライングなんて無理なことさせないでほしい。宝塚に男のカッコ良さを求めてなんかいません。女性の美しいカッコ良さを求めているんであって、わかってないなぁ。普通の会社なら、演出家は減給処分だよ。腰なんかやったら、今後の舞台人生にも影響在るかもしれないし、どうしてくれるって感じです。



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