雪組バウホール「さすらいの果てに」壮一帆主演

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318. 雪組バウホール「さすらいの果てに」壮一帆主演

ユーザ名: 金子
日時: 2005/4/10(17:32)

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 こんにちは。11時公演だったから、家に入ってすぐにこれ書こうとしたのですが、こんな時間になってしまいました。壮さん、よかったです。宝塚2枚目主役王道いける人って、今意外と少ないのでは、と思った公演です。それでは。

バウ・ロマン
「さすらいの果てに」
雪組 バウホール公演
4月10日→い列 13

作・演出/中村暁

<解説>
 19世紀末のイギリス、北アフリカを舞台にして、イギリス人青年将校が、無実の罪を着せられた父の汚名を晴らすために行動していく中で、幼なじみの娘との愛や、戦場で命を懸けて共に戦った大尉との友情の尊さに目覚め、成長していく姿を描いたストーリー。
 1880年代。イギリス軍少尉ジェフリーは、実家のブライトン邸での舞踏会に出席する。しかし、その夜、ジェフリーの父ルイスが市の公金横領の罪で告発されてしまう。
 ルイスは、これは何かの間違いであり、しかるべく申し開きをすれば、告発などすぐに取り消されると話し、ジェフリーを連隊に戻す。
 ところが、ルイスは取調べがつづく中、心労のために亡くなってしまう。エレノアからの手紙で、父ルイスの死を知るジェフリー。父が告発されたことに対し、自分が何の行動もしないまま、父を死なせたことを悔やむジェフリーは、父の汚名を晴らすことを誓う。父を罪に陥れた事件の鍵を握るのは、クレイトン大尉という人物であることを知ったとき、ジェフリーは北アフリカの戦場に送られる。
 北アフリカの戦場で戦ううち、エドウィン大尉と知り合い、互いに友情を感じるようになる。そんなとき、参謀本部から連絡将校が現れる。彼こそ、ジェフリーが追い求めていたクレイトン大尉であった・・・・。(ちらしより)

<メインキャスト> (プログラムより抜粋)
ジェフリー少尉(イギリス陸軍少尉):壮一帆
エレノア(ジェフリーの幼馴染み):涼花リサ
ルイス・ブライトン(ジェフリーの父親)/フレミング医師(エドウィンの父親):汝鳥伶
エドウィン中尉(ジェフリーの上官):凰稀かなめ
クレイトン大尉(イギリス陸軍参謀本部の将校):緒月遠麻

<感想>

「正統派宝塚」

 タイトルを聞いたとき、「80年代みたいだな」と瞬間に思ったのだが、そのあと主演2人の新聞特集(読売夕刊と某スポーツ紙)を読むと「宝塚的」と書いてあるし、「いまそこにある幸せ」大流行の中それもいいか、と思って出かけた。

 結果的には実に80年代であった。80年代というのは、宝塚において、「第一次ベルばらブーム」が終わった後、本来の宝塚の姿と個性的なスター(麻美れい・大地真央に象徴されるが)出現による新しい作品の姿を模索した、実は名作の多い時代なのである。例えば、劇団創立70周年(1984年)は名作(『琥珀色の雨にぬれて』)、名曲(♪宝塚フォエバー)といった、昨年の90周年より豊作であったというべきだろう。ファンにとってもとてもいい時代だったかもしれない。チケットは今より安かったし(当たり前か)、取りやすかった。また、トップスター(今は主演男役か)の在位も4年ぐらいが平均で、下が育ちやすいという環境もよかった。そして、トップがとにかく中心で悩むのである。この作品は正にそんな時代色を髣髴とさせた。

 話は主人公が恋・友情・復讐を乗り越えて成長する様子を書いた作品が、「宝塚の正統派」という感じがすごくした。この「主人公の成長」というのがテーマとしては王道をいっている。宝塚だけでなく名作において「主人公の成長」は大きなテーマであるし、「若さ」というのが売りの宝塚なのだからこのテーマはいつの世にも普遍なのである。今回はそれをついている。だから、金子個人としては結構楽しめた。

 たしかに、エジプト近辺の移動をバウホールの装置で感じよ、というのは観客にとってきついし、衣装も主役が4着はないだろう、と思う。しかし、一番気になったのは筋のボリュームのなさ、である。プログラムに中村暁先生は4行で説明されているが、まあいってしまえばそれだけの話なので、「ありきたり」とはいわないが「宝塚にありがち」といわれてしまうのも仕方ないだろう。それを補うべく歌のナンバーが特に主役は多いが、敵役の談合や悪ぶる場面などを入れて、もう少し筋のボリュームは必要だろう。言ってしまえば、大劇場で1幕にしてやるなら、もっと登場人物を増やして、セットも豪華にしてやれそうだが、2幕物としてはすこしだれるところがある。今年になってはじめてバウでついたフィナーレをもう少し増やしては、というところだ。いっそ、昨年の前作『あの日みた夢に』はセットがいらないからバウでやって、この『さすらいの果てに』をドラマシティというほうが壮のギャング役も見たいということもあるがよかったかもしれない。あくまで結果論だが。85点。

 中村暁先生もデビュー当時は、いわゆる「若者路線」で、一時休息があり、そのあとの『大海賊』(01年)からがらりと宝塚の正統派路線なのでファンとしては安心感がある。その一方、宝塚の曲への造詣が深くていらっしゃるようで、CS放送の宝塚音楽番組の監修、星組の安蘭けいにディナーショー全部宝塚の曲で攻めさせるなど、音楽的なセンスを感じるので一度大劇場ではショーを演出されてはどうかと思う。最近見た、花組の彩吹真央のディナーショーも構成・選曲がよかった。劇団もご一考願いたいところだ。あとは人別に。

 壮一帆。今回の若手主体のバウシリーズで10人中2人のうちの1人の単独主役経験者なので、初めから安心して観られた。昨年の『送られなかった手紙』は苦戦していたようだが、今回は屈折のない、自分の意思の命じるとおりに進む2枚目の主人公なので、彼女の爽やかな持ち味が生きていると思う。次の後期のことがあるから宝塚の王道の主役像なのだろうが、壮一人のための役ならば、もう少し個性的な役のほうが面白かったろうに、とファンとしていらぬ要望をしてしまう。よく考えたら最近の宝塚で少ないですねえ、一人称が「わたし」の主役。これも80年代風。80年代は「僕」が圧倒的だった。今は現実に合わせて「俺」が多いような。演技はエドウィンが死んだときはもうちょっと号泣して欲しいが、十分。特に病院でクレイトンに襲われたものの、あと1つきで敵討ちが出来るところまできたのに「自分には殺せない」とナイフを手から落とすところはよかった。問題はたくさんある歌だろう。どれも合格点は出せるが、もう少し歌詞解釈を深くして、特に最初と最後の主題歌がもっとがらりと変ったものにするといいと思う。主役にして本人いわく「なれぬ組長業」なので大変だろうが、あとペース配分だけ気をつければ余裕を持って千秋楽を迎えられるだろう。

 涼花リサ。CS放送でおなじみの彼女だが、まずヒロインとして見た目の髪型の工夫はこの学年としては十分。(しかし、縦ロールは「ザ・タカラヅカ」という髪型ですね)これまた宝塚の王道を行く「優しくて、純粋可憐で、愛する人の帰りをいつまでも待ち続ける」というヒロイン像なので、はっきり言ってこれが出来なければ宝塚の娘役の基本が出来ないと同然だ。涼花はきちんとこなしていてヒロインとして成り立っていた。あと歌が安定した声が出るといいと思うのだが。この役を基本としてすべてはこれからだろうと思う。

 汝鳥伶さん。2人の父親役だが、ジェフリーのほうは「仕事を優先し、息子と垣根が出来てしまった父親」、エドゥインのほうは「息子の死を見とれなかったが心はつながっている父親」と正反対の父親像でさすがである。2月まで息子に振り回される大阪の大家さんをやっていらしたのに、また違う父親とは演技の幅が流石に広い。

 凰稀かなめ。一見はちょっとハスに構えた上官だが、実は信頼の置ける骨太な男である。これもまた魅力的な2番手像だ。凰稀は人物的に幅を持たせようとしていたところは買える。『あの日みた夢に』のときの下手な気負いや、一本調子は消えたが、もう少し、台詞の間など演技に緩急があればよかったと思う。容姿は飛びぬけて目立つ存在なので、これからの舞台人だ。

 緒月遠麻。主役の敵役なのだが、なぜ悪事に加担したのか(最後でもあまり釈然としない)、悪いことの打ち合わせ、などといった場面がないのでやりにくいかな、と思う。ジェフリーに詰問されてシラを切るところや、病院でジェフリーを殺そうとするところや、最後の告白のシーン、といった場面ごとの切り替えは上手くいっていたと思う。

 最後に看護婦のクレアで優しさと歌声がよく響いた大月さゆが印象に残った。

 全体的に「宝塚は宝塚だ」と思えた公演だった。音月桂主演の後半も前楽だし期待していこう。


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329. Re: 雪組バウホール「さすらいの果てに」音月桂主演

ユーザ名: 金子
日時: 2005/5/8(10:48)

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 こんにちは。「大劇場より、このバウのほうが面白い、と聞いて」という人がいました。そのとおりだと思います。「マラケシュ〜」1回でやめて、このバウ、壮さんのほう、千秋楽のチケットも余っていたからもう一度行っとけばよかったと、千秋楽の今日、思っているところです。

バウ・ロマン
「さすらいの果てに」
雪組 バウホール公演
5月7日→と列20番
作・演出/中村暁

<解説>
 19世紀末のイギリス、北アフリカを舞台にして、イギリス人青年将校が、無実の罪を着せられた父の汚名を晴らすために行動していく中で、幼なじみの娘との愛や、戦場で命を懸けて共に戦った大尉との友情の尊さに目覚め、成長していく姿を描いたストーリー。
 1880年代。イギリス軍少尉ジェフリーは、実家のブライトン邸での舞踏会に出席する。しかし、その夜、ジェフリーの父ルイスが市の公金横領の罪で告発されてしまう。
 ルイスは、これは何かの間違いであり、しかるべく申し開きをすれば、告発などすぐに取り消されると話し、ジェフリーを連隊に戻す。
 ところが、ルイスは取調べがつづく中、心労のために亡くなってしまう。エレノアからの手紙で、父ルイスの死を知るジェフリー。父が告発されたことに対し、自分が何の行動もしないまま、父を死なせたことを悔やむジェフリーは、父の汚名を晴らすことを誓う。父を罪に陥れた事件の鍵を握るのは、クレイトン大尉という人物であることを知ったとき、ジェフリーは北アフリカの戦場に送られる。
 北アフリカの戦場で戦ううち、エドウィン大尉と知り合い、互いに友情を感じるようになる。そんなとき、参謀本部から連絡将校が現れる。彼こそ、ジェフリーが追い求めていたクレイトン大尉であった・・・・。(ちらしより)

<メインキャスト> (プログラムより抜粋)
ジェフリー少尉(イギリス陸軍少尉):音月桂
エレノア(ジェフリーの幼馴染み):晴華みどり
ルイス・ブライトン(ジェフリーの父親)/フレミング医師(エドウィンの父親):汝鳥伶
クレイトン大尉(イギリス陸軍参謀本部の将校):宙輝れいか
エドウィン中尉(ジェフリーの上官):沙央くらま

<感想>
「如何に『宝塚らしく』出来るか」

 この作品のテーマなどについては、壮一帆主演のとき(以下、プログラムより「前期」)に書いたのでもう書かない。しかし、この作品は「宝塚らしく」が、出演者全員に課せられている課題であり、現在の宝塚への提起でもあるということを強く感じる。

 「最近の宝塚スターは小顔化が進み、没個性」とよく新聞などに書かれているが、その原因はこういうことだと思う。

 それは「生徒の技術力のレベルアップ」によるところだろう。世間一般ご存知のとおり、音楽学校の入試倍率はすさまじく、また、ミュージカル出演者になろうとするならば、宝塚だけではない時代において、いろいろレッスンを積む方法があるから、入試前に全員のレベルが高いのである。その中の合格者がジェンヌになれるのだから、相当レベルの高い集団が出来上がっている。そうなると、いざ劇団に入って役がつこうものなら、持てる技術でなんとかしようとする生徒が多い、というのが現状だ。かつては、その後一時代を担ったトップスターが、受験時、来年受験に来るのか、と試験官に聞かれて、「もうきません」というので劇団側としてレベルは低いが入学させてしまったという逸話さえ残っているように、レベルが低くても「容姿端麗」で入学できてしまった、というケースがある。戦前なんてもっと「容姿重視」だっただろう。とにかく下級生でもレベルがすごく高いので、言葉は悪いが小手先勝負で大胆さにかけるのが現状であろう。だから「没個性」なのだろう。

 それに輪をかけてしまったのが、某元トップスターが唱えだした「ナチュラル」路線だ。つまり、クサイ、きざな男役より、より普通の男性のように、ということだろう。これが今もどこかに残っていて、きざるのが出来ない下級生が多いらしい。(現在の上級生がよく対談などで言っているのだが)これにより、「宝塚らしさ」が失われつつあるのがまた現状である。

 そういう中でこの作品は、「虚構の上に立つ男役はより格好よく、娘役は女以上の女らしさを」という「宝塚らしさ」への「原点回帰」がもうひとつの作品のテーマだといってもいいかもしれない。だから、演技指導に渡辺奈津子先生(元星組トップスター:紫苑ゆう)のお出ましなのだ。案外、この「宝塚らしくあるべき」「形から入る芝居」は今の生徒にとっては難しいことだと思う。

 2回観て思ったことはもう1つ。オリジナルの曲だけで構成されているが、主題歌は特に何度も歌われることもあるが、どの曲もメロディが明晰で覚えやすく、帰りに口ずさめそうなところは、これまた80年代らしくてよかった。これも生徒のレベルアップによるところだが、主題歌などもかなり覚えにくく、難曲が多いのが現状である。毎公演1曲ぐらいはすっと覚えられる曲が欲しいところだ。

後は人別に。専科の汝鳥伶さんは前期で書いたので省かせていただく。

 音月桂。上のようなことを前期で感じたときに、「わー、これは彼女にとって難関だな」と思った。下級生のころから、器用に役をこなす印象があり、本公演では娘役、新人公演では主役(『青い鳥を捜して』)までするようになった彼女の現在の印象は「小器用な役者」になりつつある。テクニック・技術が高い人なので、このままでいってしまうとどうだろう、という老婆心すらある。そこでこの役である。「なにもしないで立っているだけで2枚目に見えろ!」といわれているようなものである。小手先の勝負は出来ない。一幕は少し動きすぎの感がしたが、二幕の中盤、敵をあと少しで殺せるものの、それが出来ず、自分の気持ちの整理をしながら、最後に敵が自白し死ぬ、というくだりでは、動きが制限されている中で涙を流しつつの熱演であった。これを観ていて、彼女は今回の公演でなにか殻を破れたのではないか、と確信させられた。歌は歌詞が同じでも場面に合わせた感情ののせかたで、これは丁寧でよかったと思う。新人公演を卒業したこれからが勝負のときにこの役に出会えてよかったのではないか。

 晴華みどり。歌える人だとは思っていたが、デュエットでもきれいな声が通ってきて、一度エトワールでも、と思えた。役作りに関しては、ジェフリーの戦士広告のところは表情を崩すだけでなく、心痛を表して欲しいところだ。あとは十分及第点だった。雪組娘役は下級生の戦力が豊富なので、何人か他の組に回してもいいか、とも思う。(特に月組へ)

 宙輝れいか。最初からもう少し腹に一物あるような工夫がいると思う。また、不敵さも。出番が飛ぶので難しいと思うが、最後の自白のシーンは納得ができた。

 沙央くらま。CS放送でおなじみの彼女だが、稽古場の風景を見ていてまあ舞台ではどうなのか、という感じだったが、輪郭から役をつかむことで、この一見すかしているけれど、責任感のある骨太な人物は表現できていたと思う。もう少し内面をつめればよくなると思うが、今回の「形から入る」という課題はこなせていたと思う。しかし、歌はまだまだだし、男役をやるならスタイルをもう少しスリムなほうが(人のことは言えないが)と思う。

 いろいろ書いてきたが、隣の大劇場『マラケシュ・紅の墓標』と同じアフリカを取り扱いながら、「わけがわからん」といわれる大劇場とは対照的な作品で、金子の個人的な意見としては、この『さすらいの果てに』のほうが、宝塚らしくて大劇場向きではないか、と気に入った作品であった。



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