花組バウホール「二都物語」

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122. 花組バウホール「二都物語」

ユーザ名: 金子
日時: 2003/10/13(10:35)

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こんにちは。「二都物語」行ってきました。一言で言うと「重い」です。それでは、お付き合い願える方宜しくお願いします。

「二都物語」
花組 宝塚バウホール
10月12日 は列29

バウ・ミュージカル
「二都物語」
原作:チャールズ・ディケンズ
脚本・演出:太田哲則

<解説>
 イギリスの文豪チャールズ・ディケンズの「二都物語」の舞台化。
「自分の生命と、愛する人の幸せを引きかえる究極の愛」をテーマにし、革命に揺れるパリとドーヴァー海峡を挟んだロンドンを股にかけ、革命と恋と友情が交錯するドラマ。
 ロンドンの二流弁護士シドニー・カートンは、ある裁判で証人として登場したルーシー・マネットに恋心を抱く。やがて彼女はフランスの貴族チャールズ・ダーネイと結婚するが、パリに革命が起こり、ダーネイは革命政府に逮捕されてしまう。ダーネイと瓜二つだったことから、カートンは思わぬ運命へと向かって行く・・・・。
 1985年、大地真央と黒木瞳による月組で宝塚大劇場作品として上演しているが、今回はバウホール・バージョンとして多種多様な個性溢れる人物の葛藤をより深く描き出す。(ちらしより)

<1985年>
 1985年といえば、前回阪神タイガースが優勝した年ですね。うーん、古い。しかし、大劇場版を金子、観た。なにせファンだった大地真央さんのサヨナラ公演、運良く前楽まで行った。しかし、原作はそっちのけ、マオちゃん一点集中だったので、「なんでこんな辛気臭い役でサヨナラなの〜」と子供だから(10代でした)芸術性が全然分かっていなかった次第。今回は原作を読みはしないが、まあ、予習済みということでバウホールに足を運ぼう。

<やばかった>
 と、上に書いたもののどうも阪神が優勝するのには時間がかかった、違う!なにせ観たのは昔なのでどうしても原作を把握できているか自信がなく、観劇日の前日に1957年の同じ原作のイギリス映画をCSで放送したので、ビデオはとらず、リアルタイムでみた。約2時間。白黒でかなり見にくかったが(母など「あー白黒はしんどいからやめ」と諦めた)、見ていると自分が五分の一ぐらいしか把握してないことに気付き(例えば、ルーシーの父親のことや、チャールズの本当の身分など)「あー見ておいて良かった」と冷や汗ものだった。原作も読まずに見ようという横着者への救いであった。これで意気込んでバウホールに向かった。

<メインキャスト>(プログラムより抜粋)
シドニー・カートン(弁護士):瀬奈じゅん
ルーシー・マネット(アレクサンドル・マネットの娘):桜乃彩音
チャールズ・ダーネイ(本名シャルル・エブレモント。侯爵家の後継ぎ):彩吹真央
ジャービス・ロリー(銀行家):立ともみ
アレクサンドル・マネット(医者。ルーシーの父):未沙のえる
ドファージュ(酒場の主人、マネット家の元使用人):矢吹翔
ジョン・パーサット(密偵):真丘奈央
ジェームズ・ストライバー(弁護士。シドニー・カートンの同僚):悠真倫
テレーズ(ドファージュの妻):水月舞
ジュリ・クランチャー(ロリーの用心棒):華形ひかる

<感想>
「文学作品に正面から取り組んだ重圧感のある芝居」

 まず、「ミュージカルを観た」という感じがしなかった。「バウ・ミュージカル」と銘打ってあるが、歌もダンスも少なく、ほとんどストレートプレイを観た感じがする。そして、隣の人と思わず同調してしまったのが「重い」ということ。だから上に「重圧感」と書いたのだが、観終わってからなにかどんとしたものが残る。悲劇だから仕方ないといわれればそれまでだが、なにか台詞ばかり聞いていて、一生懸命頭を使って、最後は「主人公の壮絶な生き様」をみせられて、なにか救いようのない暗い気分になる。
 
「台詞ばかり」と書いたが、それはあれだけの筋の話を少し歌とダンスをいれて、二時間少々に押し込むのだから、そうなるのは仕方ないかもしれない。しかし、シドニーなど多分台詞の量が膨大で肝心要のルーシーに愛を告白するところは、85年も長かったので覚悟していた。今回もやはり、相変わらず長い上に回りくどくて、要するに「ルーシーさん、あなたを愛しています。この愛が片思いでも構いません。あなたのためならどんなことでもします。無条件で」ということをもう少し観ている側にストレートに伝わるような台詞に変えてもらいたかった。原作があるから仕方ない、といわれればそれまでだが、「無条件でね」という一番のキーワードは3回言うことになっても何度も言って欲しかった。この場面以外でもシドニーの台詞は意味のあるものが多くて、聴きつつ一生懸命自分なりに解釈していた。ディケンズとはこういうものなのか、とも思ったが、そこは舞台、もう少し平明な表現をお願いしたかった。

 登場人物の数などは、映画に比べて削ってあって少しはすっきりしたが、やはり予習なし、プログラム読まず、ではついていけないだろう。一言で言えば「難しい話」なので頭を整理してみるのが大切だ。前回月組の『なみだ橋 えがお橋』の頭を全然使わなくて、ただ楽しいのが懐かしくなってしまった。「文芸作品」とはこういうものなのだろうが、あまりにも重々しくて2回観る気にはならなかった。あとは人別に。あえて85年のメンバーとの比較はしない。

 シドニーの瀬奈じゅん(あさこ)。虚無的で、考え方が屈折していて、唯一人ルーシーに対してだけ昔の純粋な気持ちを持つことが出来る。そして、最後には「無条件で」彼女のために命をささげるという生き様を示す人物である。やはり、85年と同じように「辛気臭い役」というイメージは消えない。しかし、瀬奈はルーシーに庭で心情を吐露するところや、酒場で酔いつぶれて自問自答するところなどポイントはきちんと押さえてやっていたと思う。そして、最後、処刑を前にした時の、一度だけの清々しい顔でこの人物の「生き様」は良く分かった。このところ瀬奈は、芝居では「重々しい」役が続いているので、前回のショーにあったようなコメディタッチの役ものびのびとやってみせてもらいたいと思った。ともあれ、十分無難に乗り切った。

 ルーシーの桜乃彩音。研2にしては落ち着いた雰囲気を持つ娘役さんなので、ルーシーの医者の娘という知的なところ、また知的だからシドニーの気持ちが理解できるところなどは違和感がなく及第点はだせる。髪型は苦心の末だろうからこれ以上はいわないが、台詞にめりはりをつけることが必要だ。そして、早急の課題は歌だ。少ししか聴いていないのではっきりはいいにくいが、女役の基本として、裏声が安定して出せるようになるのは必要条件だ。あまりにも落ち着いているので、若いきゃぴきゃぴした役は出来るのだろうかとばかな心配をしてしまった。とにかく有望株であることは間違いない。

 チャールズの彩吹真央(ゆみこ)。シドニーが屈折しているから、この役は、超正統派二枚目でやってもらわないと困るのだが、「悩む」「短時間の出番」が多い彼女としてはすっきりとはまっていた。チャールズの端正で知的なところ、そして今回書き加えられた彼の生き方からくる「正義感」も表現できていて、彼女の中にある「宝塚らしさ」が嫌味なく出ていたと思う。この役が二枚目でないと芝居の芯が崩れるので分をわきまえた出来だったと思う。

 ロリーの立ともみさん。この人に役を与えたら「100%純正商品にしてお返しします」という感じなので、今回のこの役も安心してみていられた。現在でも当時でも、ビジネス界に限らず、人の上に立つ人は、ビジネスのことだけでなく、気配り・目配りが出来る度量がなくてはならないのだなというのを感じさせた。

 マネット医師の未沙のえる。この人はいまや「どんな役でもかかってらっしゃい」状態なので、始めの自分を見失っているところから、回復してからの娘思いの父親、そして弁護するつもりの婿を、自分の昔の獄中記によって死刑にしてしまい、また自分を見失ってしまう、というある意味哀れな老人を軽々と演じていた。立・未沙ともにさすが専科、きちんと芝居に重みを加えていた。

 ドファージュの矢吹翔。民衆の革命の気運が高まって、バスチーユ攻撃をやるには『ベルサイユのばら』に比べたらずっと少ない人数の中心で踊り、最後に「行くぞ!」と言うところは士気を高めるのは十分ドスが聞いていたし、女房に言われて、元の主人のマネット医師の獄中記を読んで、医師の婿のチャールズを死刑にしてしまって、自分を見失ってしまいそうになる医師に「だからあんたにはフランスに帰ってきて欲しくなかったのですよ!」と良心を表すところなど手堅い演技だった。この人も、今の花組においてはハイレベルな役を安心して任せられる貴重な戦力だ。

 バーサッドの真丘奈央。その時々、体制のいいほうにつくスパイで、それをシドニーにかぎつけられて最後のシドニーとチャールズの入れ替えに力を貸す人物だ。始めの裁判の証言ではなかなか胡散臭かったし、弱みを握られてからの小心者ぶりとの対比がよく効いていた。歌の実力だけではないところを示した。

 ストライバーの悠真倫。シドニーに比べて少々お調子者で、仕事のほうも実力の割に自信満々の都合のいい人物だが、この人がシドニーと似ていてはどうしようもないので180度別の人物に造形していてそれは良かったと思う。「おとめ」でみるとこの人も上級生なのだなと思った。
 
 テレーズの水月舞。チャールズの一族に一家をなぶりごろしにされた恨みを持っていて、ギロチンの前で見物するのが楽しみなほどの「たいした女」という設定だが、もう1つ市民の持つ貴族への黒い遺恨、性根の座ったところなどだせたら完璧だったろうな、と思った。映画の人の印象が強かったので。これは皆に言えることだが、金子は初日の次の日に観たので、青年館千秋楽までいけば、もっと皆良くなっているのは確実だ。

 ジュリの華形ひかる。ロリーの用心棒、というより「若く目先の効く従者」という感じで溌剌としたところがよかった。

 最後に、どす黒い市民のしたたかさを強烈に表現した、ブリスの花純風香が印象に残った。

 以上で感想を終わる。文芸作品の舞台化、ということはつくづく難しいな、と思った。


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127. Re: 花組初日日本青年会館「二都物語」

ユーザ名: yasuko
日時: 2003/10/25(22:55)

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本日、花組初日日本青年会館「二都物語」を観てきました。

これはもうチケットとれないので数回観るのは無理だし、しかも原作知らないし、昔の舞台もみてないから、本当の良さや本当の意味とか理解できるかどうかは分かりませんが。。。
究極のラブストーリーというより、優秀だけれどちょっと”うつ病”で自律神経失調症で、考え方が否定的な男のストーカーにも似た異常な行動のような気がします。だからだめとか言うのではなく、つまり、

カートンはルーシーを本当に好きだったのか?結局は自分と同じ顔の男が自分と比べてずいぶん違う、人を愛して、愛される幸せな状況にいることに、悔しさや空しさを感じ、それがチャールズではなく、同じ顔の自分であってもいいはずと思ったのではないのか。チャールズと顔が同じでないなら、命かけてルーシーのためにと思っただろうか。
人生をあきらめて投げやりになっていたけど、”人を愛して”行動することに意味があり、そう生きてみたかったことが彼に意味が合ったような気がします。
そうでないと、どうしてそこまでルーシーを好きになったのかよく理解できない。
とても純粋な恋愛ストーリーには思えない。これは原作を読んだほうがいいかもしれない。。

私には”究極のラブストーリー”ではなく、いっそ思い切って”一種の精神異常者の変わった愛の形”のような、怪奇的な気味の悪いストーリーにしたほうが面白かったかも。。

瀬奈さんはこういう黒い役がよく似合うと思いました。トップ、2,3番手の男役の中でこういう大人の演技ができるのは、今の現役では瀬奈さんだけのように思えます。せりふがうまい。歌もうまいし、将来楽しみ。ものすごい悪役とか似合いそう。

それと、カートンとチャールズの顔が似ている設定なら、髪の色、髪型、化粧とか似せてほしい。どう観ても、似てない。だって、「十二夜」の大地真央と岡幸二郎が双子の設定で似てないのにどうすんだと思っていたけど、実際ものすごく似てた!!

嫌いな人もいらっしゃるかもしれないですが、私は昔の公演(今回の場合大地真央と黒木瞳バージョン)を実際見た方が、隣のお友達にこのシーンは昔はこうだったとか、もっとこういう気持ちを表現できなきゃだめだとか、一生懸命解説しているのを聞くのが好きです。結構評論家とか雑誌の解説よりおもしろかったりします。



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