星組大劇場「王家に捧ぐ歌」

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75. 星組大劇場「王家に捧ぐ歌」

ユーザ名: 金子
日時: 2003/7/19(13:02)

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 こんにちは。早々に、宝塚版「アイーダ」行ってきました。「あー、金子の長い感想には付き合えない」とお思いの方は次の文まで読んでください。「行くべし」。以上です。後は、お付き合い願える方お願いします。

「王家に捧ぐ歌」
星組 宝塚大劇場

7月14日 1階14列61→伊織直加さん観劇
7月17日 2階7列23(母と観劇)→和央ようか、花總まりさん観劇
7月18日 1階13列66

三井住友VISAシアター
グランド・ロマンス
「王家に捧ぐ歌」
−オペラ「アイーダ」より−
脚本・演出:木村信司

<解説>
 イタリアの大作曲家ヴェルディの円熟期のオペラとして有名な「アイーダ」を、宝塚バージョンとして新たな脚本、新たな音楽で1本立て豪華大作として上演。
 エジプトと敵対するエチオピアは、ラダメス将軍率いるエジプト軍によってまさに崩壊状態であった。しかし捕らわれた王女アイーダにラメダスは心惹かれ、彼女を助けるために許婚のアムネリスの侍女とする。最初は敵国の将軍であるラダメスの求愛に反発していたアイーダだったが、すべてを賭けて愛を貫く彼を次第に受け入れていくようになる。しかし、二人の関係を知ったエジプト国王やアムネリスが、当然それを許すわけはなく・・・・。
古代エジプトを舞台に、エジプトの若き将軍ラダメスとエジプト軍に捕えられ奴隷となったエチオピアの王女アイーダとの悲恋を、華やかにドラマティックに描く。(ちらしより)

<2階席では>
 正直、3回観劇するつもりはなかった。しかし、宝塚友の会の当りが悪くて1口しか当たらず、その1口が2階最後列だったので、思わず「なによ、こんな席『感想』のためのような席よ!私はトウコさん(安蘭けい)が観たいのよ!仕方ない、星組3回行ってやる!」ということになり、今年後半の観劇回数緊縮財政を自ら招いてしまった・・・。12月の梅田コマ劇場の『シンデレラ』はやめた、とか。しかし、花組に続いて2階7列がくるのはなんというか7500円が惜しいなあ。→実際座ったら隣は空席だった。

<予習>
 昨年の『鳳凰伝』ではオペラを全然見ないで宝塚版だけみて、後で後悔したので、今回はオペラ『アイーダ』を見ておこうと思った。来日公演もあったが、とてもチケット代が払えないので、「よし、DVDかビデオで」と思ってクラッシックに強い大阪のCD店にいった。確かに名作オペラだけあって、直輸入版も含めて5枚ほどあったが、英語ですら弱い金子、なにがイタリア語だ、日本語の説明と字幕が付いているのを探した。すると3枚あったが内2枚は白黒で唯一のカラーのものでも6000円した。ふう〜、『雨に唄えば』とは大違いである。よって購入するのを諦めた。しかし、CS放送加入者には救いがあって、1980年代のミラノ・スカラ座での舞台が放映された。ビデオに撮って約3時間、母と見た。4幕もあるのは驚いたが、大体筋がわかって、「これが宝塚になるとどうなるのか」と興味をそそられた。

<メインキャスト>
ラダメス(エジプトの若き武将):湖月わたる
アムネリス(エジプト王ファラオの娘):檀れい
アイーダ(エジプトの囚人、実はエチオピア王女):安蘭けい
アモナスロ(エチオピア王、アイーダの父):一樹千尋
ファラオ(エジプト王):箙かおる
ウバルト(アイーダの兄):汐美真帆
ケベル(ラダメスの戦友):立樹遥
カマンテ(エチオピア王家の元家臣):真飛聖

<久しぶりに>
 最初に観劇に行った14日、劇場のロビーで15年来の母と共通のファン友達に会った。しかし、あちらの方がファン歴など金子は足元にも及ばない人である。なにせ、春日野先生の現役トップ時代をご存知なのだから。この作品がいいのか悪いのか、CSを見ていただけでは判断が付かなかったので、この方に聞いてみることにした。
金子「○○さん、お久しぶりですー。」
友達「ほんと、お母さん元気?」
金子「木曜に一緒に観ます。それより、この作品どうですか?○○さんのことだから、初日ご覧になったでしょう?」
友達「いや、いいよ。キンキンの系統ではさ、あの『エル・ドラード』やほらノルさんのやっていたやつ(『黄金のファラオ』00年、のことだろう)よりずっといいよ。湖月わたるもこんないい作品でお披露目とは幸運だわ。」
とのことだった。もう一言「トウコさん、どうですか?」と聞きたかったが、なにか怖い気もしたので挨拶をして客席に向かった。

<感想>

「宝塚『歌劇』団」と称する意地を示す見応えのある作品」

 同じ木村先生でも、昨年の『鳳凰伝』はあまりピンとこなかったが、今回は今年に入ってからの大劇場の作品の中で一番良かった。95点というところか。とにかく、「宝塚をみたー」という気持ちになれる2時間半だ。

 満足感を覚える理由は、まず、元のオペラのドラマが美しい悲劇の名作だからだと思う。ただ、宝塚でミュージカルとしてやるとなると、オペラのままではドラマの内容が足らないので大分書き足してあるが、それでも各場が長く(アムネリスが十分着替えられる時間が1場のなかであるのだ)なっているので、そのなかで物語があまり動かないと少しかったるく感じられることは確かだ。しかし、これは原作の問題だから仕方ないだろう。いうなら、もう少しテンポアップして、フィナーレを長くしてもいいのでは、と思った。ドラマとして少し違和感を覚えたのは、二幕の始めの、平和で世間が爛熟してしまうところで、神官の美女コンテストなどやらずに、事故や犯罪が起こることを表現したほうが良かったのではないか。この作品は「時代は変わろうとも世界に平和を」というのがメッセージなのだから、できることはなるべく現在に近づけたほうがメッセージはより身近に感じられると思うのだが。また、最後の銀橋で死に赴くラダメスとアイーダが抱き合っているときに本舞台でアムネリスの不戦の宣言をするところは、少々蛇足に感じた。アムネリスはラダメスが地下牢に入れられるときに、思わずその名を叫んでしまうだけで十分で、あとはラダメスとアイーダが死ぬ、というだけでいいと思う。その死の表現も、確かに2人は地下牢に入れられて死んでいくのだから、せり下がるのも分かるが、清き魂が死に赴くのだから、『エリザベート』と同じになっても、ライトもドライアイスももっとたいて昇天するほうが良かったと思う。

 あとは、これも原作の都合だが、どうしても役が少なく、特に女役はアイーダとアムネリスのほかは、女官や侍女、といった感じでどうしようもない状態だ。男役のほうでも、アイーダの兄のウバルドにしても「作りました」という感じで、主なメンバーだけ役がある、という状態だ。これは今回だけは仕方ないとしても、特に女役さんはかわいそうだな、と思った。

 次に、セットと衣装について。セットは古代エジプトの石垣をあらわすのに階段を使っており、工夫されていると思うし、前が閉じるところの仕組みも上手くできていて大道具さんの知恵に敬意を表する。しかし、そのセットにお金がいったのか、衣装がエジプトの戦士の男役さんはフィナーレまで、多分1着しかなくて、顕著な例を挙げるとアイーダの衣装が全編で4着しかないのはどうだろう。たしかに、キンキンの布はお金がいるのかもしれないが、せめてメインキャストのアイーダぐらいフィナーレで贅沢させてあげて欲しかった。その分、アムネリスは「あれだけ着道楽できるのは、やはりファラオの娘だから」と納得はするが、宝塚なのだから脇まで衣装は贅沢にお願いしたかった。

 CS放送で「この作品の主役はコーラスである」と言っていたが、たしかにそうで耳から頬へのマイク、普通のピンマイクだけではたりず、上の階段に一応金の張り紙をしたスタンドマイクまでたっているのだが、確かにその効果は抜群で、「なぜだ!」という意味の「おー」という叫びなど迫力があった。ただ、皆あまりにも凄い力を入れてやっているので、特に主軸は千秋楽までのどが持つのか心配してしまうほどだ。

 次に曲だが、『エリザベート』のように、同じ曲を何度も歌詞を変えて歌っているのだが、とにかく全編を作曲された甲斐先生には拍手だ。欲を言えば、もう少し色々なジャンルの曲で構成されていたら面白いだろうな、という感じである。全体としては、バラード系の曲が覚えやすく良いと思う。その中でも主題歌「♪世界に求む−王家に捧ぐ歌−」はこの作品が発するアピールであり、シンプルでも壮大な理想の歌詞とあいまってスケールの大きな曲に仕上がっている。しかし、アイーダのテーマ曲の「♪アイーダの信念」も最後のフレーズが何度も歌われるので覚えやすく、これが作品のメッセージであるのでどちらも印象に残る曲だ。

 世界的プリマドンナ、マイヤ・プリセツカヤ先生を招いての振りだが、特にパレード前のデュエットダンスは本当にナイルの川のように流麗で、大技やテクニックは使っていないのだが、オペラグラスをはずして全体で見ると本当に綺麗で、さすがプリマドンナだと思った。こんなデュエットダンスは見たことがない。始めプログラムを読んだとき、「話の内容からして、ラダメスとアイーダが踊るのが妥当ではないの」と思ったが、ああいう男役にしなだれかかるようなことは「にわか女役」には無理であろう。新トップコンビお披露目を示して正解であった。

 1本立て作品としては、確かに『エル・ドラード』などに比べて充実していたし、こんないい作品で新体制を切れて星組は幸せだと思う。母曰く「あの『エル・ドラード』なんかは『スカ』だったけれど、これは『スカ』ではないわ、一生懸命観たから疲れた」とのことである。

 最後に、出演者全員のパワー溢れる舞台であり、CSの初日の組長さんの挨拶を聞いていると悲壮感さえただよう熱気のいれかたである。こちらは夏休み、ということもあるし、是非「宝塚なんて」という方には観ていただきたい舞台であった。
 以下は人別に。

 ラダメスの湖月わたる(ワタル)。エジプトに勝利をもたらす「男の中の男」である一方で、自分の気持ちには純粋で、アイーダの信念の「平和を」ということに共感し、それを実行に移そうとし、またアイーダへの恋から最後には自らを死に追いやってしまう、というダイナミックな男性である。「ダイナミック」を身上とするワタル君には柄にあった役でお披露目できてよかったのではないだろうか。とにかく、ものすごいパワーでやっているので、千秋楽まで持つかいらぬ心配までしてしまうが、素直に「トップ就任おめでとう」と言っておきたい。歌唱力の向上は顕著だ。次の大劇場では、正反対の繊細な役がみてみたいが。

 アムネリスの檀れい(ダンちゃん)。アムネリスは、オペラでは「嫉妬に狂った高飛車で高慢ちきな女」としかうけとれなかったのだが、宝塚では、まず「その美しさはたぐいまれなく、創造主さえも微笑む」くらいの美女で、「欲しいものがなくなるくらいに」恵まれている。しかし、彼女はファラオの娘として、ファラオとして「こうあるべき」という「義務」「徳」「品格」というものをわきまえていて、それが彼女の歌う「ものごとはあるべき道をたどります」という哲学で、それを顕著に表しているのがアイーダこそが恋敵とわかると彼女自身は侮蔑の言葉と平手打ちしかしないが、女官たちがアイーダに暴力を振るうとそれを制止する場面であろう。つまり、ファラオの娘として「品格」を落とすような真似は絶対しない、という気概である。そして、1人の女性として最後までラダメスへの思慕は捨てきれず、最後にはラダメスの訴えた「不戦」を宣言する、という大分オペラとは変わった役柄になっている。アムネリスも悲劇の1員だ、という設定が強く感じられた。久しぶりに大劇場で観るダンちゃんとしては、随分腕をあげたな、という印象を受けた。この設定だと男役がやってもいいと思うのだが、女役としては頑張っていたと思う。ただ、歌は地声から裏声に変わるところがはっきりと分かってしまい、もう少しスムーズにシフトできればいいと思う。地声で張り上げるところが多いので、こちらものどが千秋楽まで持つか心配だ。専科での日々を無駄にしなかったな、という印象だ。

 アイーダの安蘭けい(トウコ)。彼女に関しては、金子、『雨に唄えば』で「贔屓の引き倒し」のような感想を書いてしまったので冷静に分析できるかどうか不安なので、まず他人の言葉を引用する。まず母、「この芝居、トウコさんがいなかったら出来ないよ」。18日の隣の人。一幕が終わって「トウコちゃん、一段と歌が上手くなって。3人の中では芯だわ。すごく印象的」二幕が終わって「この作品の主役はトウコちゃんよ。私、ファンほどいかないけれど好きなワタル君はサブ。ましてやダンちゃんはね」とのことである。
アイーダは、祖国を守るか、肉親の情を取るか、愛を選ぶかの三つ巴でなやみ、信念を持って理知的で、情熱的で男勝りでさえある王女である。母曰く「日本の皇室のような『なよなよしたお姫様』を考えては駄目ね」ということで、「男勝り」のところは元来の男役が役に立って(?)、十分迫力がありアムネリスとの違いがはっきりでた。歌はあんなキーが出るのか、と少々こちらも驚いた。台詞は、感情が高ぶるシーンになって、油断すると地声がでてしまうが、アイーダは男っぽいので、18日の人曰く「全然知らなかったら女役さんだと思うよ」という域にまで達している。芸達者な人だな、とつくづく思った。しかし、「にわか女役」も大変で、14日はフィナーレのダンスのシーンで、同期の汐美の前で転んでしまい、汐美には勿論笑われ、会場も笑いであった。金子としては「あー、トウコさん『にわか女役』も大変ですね。いうなれば『大劇場 夏の陣』ですか」と同情してしまいそうである。反動で『雨に唄えば』のビデオ予約してしまった。これも反動で、次は黒っぽい悪役など観て見たいのですが。

 アモナスロの一樹千尋さん。技巧派の歌を歌える方だから、狂ったように見せかけるところの歌などはお手の物であった。誇りを失うくらいなら「殺せ!」と断言するところや、最後、本当に狂ってしまうところまで、オペラより見せ場が多くてやはりこういう役所は専科の人ならでは。安心して観ていられる。

 ファラオの箙かおるさん。声量がある歌が歌える人がこの役でこれもまた安心して観ていられた。世界一威張っていればいい役だが、そのなかにも娘への愛情など表れていて「神の息子」と「人間」の両面が出せていたと思う。しかし、あの衣装、着ていたら気持ちいいのでしょうね。

 ウバルドの汐美真帆(ケロ)。今回は二番手が女役に回っていることで月組時代より、ポジションが大分上がっているが、導入の部分など手堅く持っていっている。王子である以前にテロリストとしての恨みの深さ、というものが良く分かった。ただ、この人はどうしても声がこもりがちになるので、台詞・歌詞が聞き取りにくくなるのが惜しい。

 ラダメスの戦友の、ケペルの立樹遥とメレルガの柚希礼音は戦士としての誇りと、平和になると戦士など尊敬に値されない、というむなしさを出せていた。歌も歌詞がはっきり聞き取れたのはいい。ただ、立樹はプログラムによると、下級生の真飛より下の扱いで、雪組にいたほうがよかったのでは、などと思ってしまった。

 ウバルドの手下のテロリスト、カマンテの真飛聖とサウフェの涼紫央は、真飛は執念深さ、涼は国のためテロリストになった、というところを示していて同じようにならなかったのはいい。とくに真飛は押し出しが良くなったのが目に付いた。

 と以上書いてきたが、四季の『アイーダ』も観る予定の方には必見の舞台である。東京ではチケット入手難だろうな。これで感想は終わる。


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