宙組大劇場 「黎明の風」「Passion 愛の旅」

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460. 宙組大劇場 「黎明の風」「Passion 愛の旅」

ユーザ名: 金子
日時: 2008/3/16(21:26)

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 宝塚が2本立てというのはよくできているなあ、という公演でした。お芝居のほうは見応えがあり、素直に「2回みたい」と思いました。男性の方にはお勧めです。

宙組 宝塚大劇場
2月14日→2階A席(母と)
3月16日→1階9列(父と)

ミュージカル・プレイ
「黎明の風」 −侍ジェントルマン 白洲次郎の挑戦 −
作・演出/石田昌也

<解説>
 吉田茂の懐刀として自らの信念を貫き、戦後日本の復興・独立に「舞台裏」から尽力した白洲次郎の姿を描いた作品。「日本は戦争に負けただけで、アメリカの奴隷となった訳ではない!」とマッカーサーを恫喝し、GHQから「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめ、「葬式不要・戒名不要」とたった二行の遺書を残し、昭和を駆け抜けた白洲次郎の生き様を、夫婦愛、敵対する者との友情、そして平和へのメッセージを込めて、壮大にミュージカル化します。
 世界恐慌、軍部の台頭、暗雲渦巻く昭和3年。9年間のイギリス・ケンブリッジ大学の留学を終えた白洲次郎が帰国する。一方、アメリカのハートリッジハイスクールを卒業した樺山伯爵の令嬢・正子も留学を終え帰国。次郎は神戸の中学時代から自動車を乗り回し、喧嘩の絶えない暴れん坊。留学というより父親の命令でイギリスに「島流し」にされた「育ちのよい野生児」である。一方正子は華族の令嬢として「お能」を習う反面、スポーツや射撃にも興じ、気に入らなければ男も殴りつける「韋駄天お正」の異名を持つお転婆娘であった。
 そんな二人が帰国後、正子の兄の仲介でお見合いすることになった。互いに先進国で青春を謳歌し、「野暮ったい日本の女(男)と結婚するなんて考えられない」と見合いを拒否した二人ではあったが、出会った瞬間一目惚れして結婚。商社マンとなった次郎は妻・正子を伴ってヨーロッパへ出張、イギリス大使館で後の首相となる外交官の吉田茂と知り合う。ラジオからは不気味なヒトラーの演説が流れ、新聞は日本の二・二八事件を報じていた。帰国した次郎は「戦争突入で日本は食糧難になる!」と農業を始める。そして敗戦・・・日本を統治すべく連合国総司令官のダグラス・マッカーサーが厚木に降り立った。そんな時、吉田茂から次郎に「終戦連絡事務局員として、日本の復興に手を貸して欲しい」と連絡が入る。
 マッカーサー率いるGHQを相手に、次郎の「新しい日本を創る戦い」が始まった・・・。(ちらしより)

<メインキャスト>
白洲次郎(終戦連絡中央事務局「CLO」局長、吉田茂の懐刀として戦後日本の憲法改正・復興・独立に尽力):轟悠
ダグラス・マッカーサー(連合軍最高司令官、GHQ総司令官、日本を占領統治):大和悠河
白洲正子(次郎の妻、樺山家の令嬢、作家・随筆家):和音美桜
辰美英次(CLO局員、新英米派の陸軍将校、東条英機ら戦争推進派と対立):蘭寿とむ
ブレストン大佐(親日派の将校、辰美の親友、GHQ民生局員):北翔海莉
吉田茂(駐英大使、外務大臣、首相):汝鳥伶
ジーン(マッカーサーの妻):美羽あさひ

<感想>
「宝塚がこれをやってくれてよかった」

 上は、緞帳が下りた後、泣きながら戦争体験者の父が発した言葉である。

 私自身は、初めこの内容を知ったとき「戦後日本史?現代に思い切り近いし・・・夢とロマンの宝塚がなぜ?」と思った。確かに前の雪組の芝居のようにまったく共感するところがない、というのははっきり言って駄作だとおもうが、たかだか60年ほど前の話である。登場人物のご子孫もその時代に実際生きた人間もたくさんいて、デリケートさが必要だと思ったからである。バウで2作ほど第二次大戦中の話があったが、帝国軍人が美化されているようなのもあり、日本人とアメリカ人のハーフの兄弟の哀しいさだめもあり、大劇場でまだまだこの時代が取り上げられるのは先の話のような気がしていたのだ。もう、『紫禁城の落日』でおわっといていいのでは、と思っていたのだ。

 しかし、実際舞台を観て考えが父と同じようにかわった。たぶん、関係者の方に許可を頂くために脚本がかなりはやくからできていたのではないか、と推測する。まず、戦後日本史がコンパクトに分かりやすくまとめられている。その間に当時の世相や文化(勿論歌が多いが)がおりこまれていて、一方次郎とマッカーサーの対決、特に次郎が第三次世界大戦を回避しようとしてマッカーサーに土下座するシーンなど、緊迫感あふれる場面もあって、戦争体験者でなくても「先人はこれだけの努力のうえに現在の日本を創ったのだ。彼らが必死になって得た平和を我々今を生きる人間は守らなければならない」とメッセージがすとんとはいってくる。最後の全員の主題歌の合唱を聞いていてすがすがしい気持ちになった。劇団四季の「李香蘭」を観た後の重苦しさとは対照的だった。

 独特の決まりごとがあり、一部特別視する世間において、約100年芸術としてやってきた宝塚歌劇が今堂々とこういう日本の歴史を宝塚の手法で演劇化する、宝塚が日本の演劇としてその地位を100周年に向けて確立したとファンは喜ぶべきであろう。たしかに「夢とロマン」の御伽噺ではないが、宝塚でこういう演劇がやれるようになったということに価値を置くべきだろう、と考える。90点。

 唯一注文をつけるならば、白洲次郎の生い立ち、あの後の物語、などもう少し次郎の話が知りたかったな、というところである。しかし、それをしては時間に入りきらなかっただろう。

 轟悠。当たり役がまた増えた。今なら間違いなく政治家になるべきの見識、日本人としてのプライド、それを持ちながら決して表舞台に出ず、歴史の教科書にもでてこないが、後世語られるべき大人物。闊達さと英国で培った考え方、そしてマッカーサーとの対決、とどの場面も次郎に見えた。やはり上手い。他の人が次郎をやってみるのを観てみたい。

 大和悠河。はじめポスターを見たとき、迫力不足に思えたのだが、主演以外の役では一番の出来だった。彼女はその容姿から、他人から孤立している、あるいは孤立してしまう、役がおおかったが、普段も熱い人だから人の中にいる役のほうが似合うというのは新しい発見だった。マッカーサーは父親も軍人で、日本がもともと好きで、好意的に日本を占領しようとするがやはり外国人なので日本人と同じような考えができず、吉田や次郎と対決してしまうのだが、相手の考えも認めることができる、その肩書き以上に大きな人物である。大和はマッカーサーの中にある熱さ・誠実さがきちんとでていた。わりと「〜ですな」といったような格の高い年配者が使う日本語もおおいのだが、おちついて台詞がいえていたので違和感がなかった。次は「マッカーサー編」は如何でしょう、石田先生。

 和音美桜。急遽の代役とは思えないほどしっかりと、元お転婆お嬢様で今は芸術家の妻役を演じていた。歌に関しては文句なし。こうやって観ると、充分主演でもやれる人なのだな、と実感した。

 蘭寿とむ。帝国軍人でありながら、戦時中の軍の体制を批判し、戦後は政府の力となって働く篤実な人物である。蘭寿はさすまたを笑われるシーンやソロなどで人物を他のメンバーから浮き立たせた。こちらは手堅い。

 北翔海莉。親日派でマッカーサーの片腕の将校だが、次郎の土下座の意味を急いで説明するなど、ラッセル少佐との対比を打ち立てた。こういう日本を分かろうとした人がいたから現在の日米関係はつづいているのだろうな、という感じがした。こちらも見せ場は少ないのだが印象に残る。

 汝鳥伶。もう外見からしてぴったり。歴史の教科書で教えられた毒舌家の首相が目の前によみがえったようだった。

 美羽あさひ。夫に献身的な妻だが、今の日本の政治家の奥さんより引いて耐えていたのだな、というのがわかり、マッカーサーとの夫婦愛も感じられた。

グランド・レビュー
「Passion 愛の旅」
作・演出/酒井澄夫

<解説>
 人生は、夢、愛は果てしなき旅でもあります。それをテーマに華やかなレビューを・・・・。若き日の夢は新しい扉を開き、大空に希望を求めて旅立っていきます。野望と欲望、愛と栄光、それらを様々な世界に、いろんな国に、ドラマティックに、ノスタルジックに、少し心に残るハッピーなレビューに構成した作品です。(ちらしより) 

<感想>
「定番の安心感」

 前の雪組のショー「ミロワール」も「宝塚的バラエティショー」で好きだったが、やはり酒井先生のショーは長年演出しておられるだけの安定感があるので安心して観られる。
 
 まず、1つのブロックがおおきくにかよっておらず、説明をあまり必要としないこと。曲調を場面でがらりとかえ、ふんだんにスタンダードな曲をもりこむこと。各場面の人数、スターの使い方、特に今回のような2人主演体制においても手馴れておられるところ。そして最後に緩急、である。中詰めの後の対比が見事である。

 ということで斬新さはないのだが、現体制になったばかりの宙組において、ノーブルさをねらったショーで各スターの宝塚らしい品のよさとともに各人の個性が楽しめるショーだった。90点。

第1〜3場 プロローグ
 男役の黒燕尾からエンジの衣装の総踊りへとレビュー的幕開けである。一言「あー、綺麗」といって、観ていられる。殆どの代役をやる美羽あさひはもうここから全開、2回公演のとき大変だろうな、と思っていたら、千秋楽の前の日に観たときはやせていて、元の彼女のところはだれかに代役をしてもらえばいいのにと思った。

第5場 Passion 大空へ
 若者たちの空への情熱=Passionが激しいダンスのなかに現れていて、セットが少ないのが気にならない。しかし、芝居となにか重なって見えるのがどうか。

第6〜9場 Passion 砂漠の薔薇
 一変してアラビアの場面。前半はいかにも、という調子だが、後半は音楽の調子が変わっていて主人公が追い詰められていく様子が良く分かる。

第10・11場 Passion 燃えるリズム
 あの原色で奇抜なデザインの衣装が映えるのは大和ならでは。とにかく華やかで圧倒される中詰め。

第12・13場 Passion ファンタジー(夢のカルナバル)
 カルナバルの後のひそやかな熱情、という感じで白と黒の衣装と「♪黒いオルフェ」の選曲が中詰めと対比をなしている。ただし、轟の声が千秋楽前日はのばすところがショーにはいるときつそうだった。

第16〜17場 フィナーレ
 珍しくシャンソンを使ったフィナーレ。いちばん思わせぶりなのは轟と大和の絡み。諸説(?)あるようだが、私としては彼女は宝塚的にいつもは男装していて男同士としてしか会えない男女、の話のほうが心理的に安心する(?)。フィナーレの羽根は男役は寂しいが、メイン3人は豪華で、夢の世界が終わる。

 芝居と好対照のショーで、芝居は思い切り現実、ショーは思い切り愛と夢の世界で2本立てのよさが充分味わえる。


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