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44. 月組大劇場「宝塚花の風土記」「シニョール・ドン・ファン」感想
ユーザ名: 金子
日時: 2003/4/17(11:12)
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こんにちは。宝塚月組大劇場の感想を書きました。また、長いですけれどよろしくお付き合い下さい。
宝塚舞踊詩
「花の宝塚風土記」-春の踊り-
作・演出:酒井澄夫
<解説>
雨、風、光、花、樹、海などをテーマに、日本の風土、祭事、民謡、浮世絵、そして四季の美しさを舞踊で表現。また後半では、歌舞伎四百年にちなんで、日本の伝統芸能である歌舞伎の創始者と言われる出雲の阿国が、四条河原で踊った歌舞伎舞踊から、女歌舞伎、若衆歌舞伎、野郎歌舞伎と、歌舞伎の変遷を華麗なショーに。雅楽界のホープ、東儀秀樹が挿入曲を提供。(ちらしより)
<感想>
「今、4月の初舞台生が登場する大劇場にはいいが、6~8月の東京で『♪春だ 桜だ 桜だ春だ』は通用するのか?」
正直に言うが、金子、日本物のショーの感想を書くのは初めてである。(過去からの感想の一覧を見ていただければ分かるが)よく考えると、当たらなかった、というか。ということで、勿論日舞の心得もないし、日舞ショーから随分離れているので上手くかけるか心配である。ただ、日本の曲というと普段使わない言葉が山盛りで(例えば「うちょうて踊る、ヨーイヤサァ!」など)15日は外人の方を見かけたが、「衣装は綺麗だけれど、聞いたことのない日本語が多い」というようなことを言っていた。(英語だったので100%理解できなかったが)金子も「久しぶりに綺麗な着物をたくさん見せてもらったけれど、まあ、日舞ショーというのはどれも似たり寄ったりだな。80年代あたりと変わっていないな」という感じ。(金子が初めて「春の踊り」を観たのは1981年。「サロン・ド・宝塚」のポスターが懐かしかったー)ま、それなりに目の保養になるが、これ、夏に東京にこのまま持っていったら、「季節感のある日本人」にとってフィットするかどうか大いに疑問を感じた。初舞台生もいないし。「夏の踊り」に変えるほうがいいのだろうが、経営の都合でそうはいかないだろうなあ。今はいいけど、東京は問題が残る。点数をつけるなら、バラエティに富んでいたので80点。
第一~二場 花歌舞伎
「春の踊りは ヨーイヤサァ!」で幕があく典型的で、男役は若衆スタイルでの幕開きである。ああ、久しぶりでいいなあ、と思ったが10日に観たときは、紫吹淳の裾さばきが上手くいっていないのが目に付いた。月組は確かに長いこと日本物をやっていないが、もう少しアラがみえないようになるまで稽古すべきだろう。その点、バウ5連作をやっていた月船さららは、CS放送で見たバウの時よりずっとメイクが上手くなっていた。「日本物というのはいきなりやる、というのは難しいものなのだな」と思った。真ん中のトップコンビと専科中心のところで歌う、霧矢大夢の歌はいつもながら歌詞がわからないところがなく耳に心地よく入ってくるのだが、この人はあとのミュージカルでは全然ちがう手法で歌える、いわばTPOに合わせて歌うことができる貴重な人だ。単独二番手昇格も当然か。
第四場 花燈籠
松本悠里先生が出島の遊女に扮した場面だが、先生の哀愁たっぷりの踊りはさすがだが、美々杏里の美声にも聞きほれた。今の宝塚の女役では、歌わせたらこの人が最高かな、と思った。
第五場 港に咲く花
書生の紫吹が久しぶりにかつての恋人に偶然会い、昔をしのぶ場面であるが、欲をいえば映美くららにもう少し世間ずれした感じがあればいいかな、と思った。ここだけが物語的な場面で、もう少し長くてもいいかと思った。
第六場~八場 花の民話集
スターが次から次へとでてきて民謡を歌う民謡メドレーのシーンである。初めの汐風のいなせさ、次の霧矢の滑舌のよさは良かったが、彩輝直は相変わらず声が安定して出ておらず、専科なのだから出ている組の二番手に負けていてはいけないだろう、と思った。最後に登場の紫吹は青天がよく似合い、映美も1人で歌うところは溌剌としていて良かった。曲もどれもどこかで聴いた曲ばかりで楽しい中詰めだった。
第九場 石庭
汐風を中心とする、「静」の場面である。東儀氏提供の和楽と洋楽のバックが上手く融合していて、なんともいえない「気」を感じられる場面に仕上がっていた。こういう派手さがないところもきちんと踊りきってしまう汐風にはさすが血筋、という他ない。
第十一場 阿国歌舞伎(女歌舞伎)
彩輝の阿国と山三の紫吹が絡む場面であるが、どうしたことか「妖しさ」が最大の持ち味であるはずの彩輝からそれが全然感じられなかった。まだまだ公演は続くので頑張ってやって欲しい、としかいいようがない。しかし、周りを固める女役さんたちは、朝先生をはじめ、夏河組長らよくそろっていた。また、歌のソロをした紫城るいも女役に転向して2公演目であるが高い声は安定していて、女役に変わって正解だったと思った。
第十二場 若衆歌舞伎
大空祐飛を中心としたはんなりとした場面であるが、大空は扇を肩に上げるところなどなかなか仕草が上手くて、あと歌がもう少し声がこちらへ直線的に伝わってこればもっといいだろう。
第十三場 野郎歌舞伎
霧矢と中心とした力強い場面であるが、上の若衆歌舞伎とどう違うのかは衣装の違いでしか分からなかった。霧矢自身、「歌劇」で「もっと勇壮な感じ」を想像していた、と言っていたが、あまり特徴が上とつかなくて、曲も踊りももっと勇壮な感じでいいのではないかと思った。
第十五場 桜花夢幻(さくら幻想曲)
いうまでもない、「♪さくら さくら」に合わせてポスターメンバー全員が踊るシーンである。いままで「さくら」のシーンは多くあったので、今回は目先を変えて、ということなのだろうが、特に紫吹の衣装などは白なので鶴を連想させられるが、あとのメンバーの衣装はグリーンとなるとなにを連想したらいいのか分からなくなって「なんだかやたら斬新につくってあるな」という感じである。もうここからは、全員総出して若衆で扇持って長く踊って終幕したほうがいいように思った。ちょっとひねりすぎ、という感がした。
第十六場 花歌舞伎(春爛漫花錦絵)
なんやかんやいうまえに、紫吹以外は第一場と同じ衣装はいただけないなあ、と思った。そりゃ、次のミュージカルのほうに相当コシノ先生に衣装代払っていて余裕がないのだろうけれど、最後はまた新しくぱっとやって欲しかった。フィナーレなのだから、「わー、日本物もまた着物でも豪華だね~」と客に思わせないと、これからのGWなど乗り切れるのか?と心配してしまった。 というのは、10日1階A席は3分の1、15日4分の1しか客席が埋まっていなかったのである。2階がガラガラなのはいうまでもない。初舞台生お披露目の公演でこんなに空いていたのはみたことがない。去年の「プラハの春」よりひどい。宝塚、というところは夢を売るところなのだから、まず衣装から「わー、綺麗だねぇ」と客に思わせないと人は寄ってこないものだ。緊縮財政をやっていては、客が引いて、余計営業収入の首をしめるだけである。衣装ぐらい奮発して欲しかった。
ということで日舞ショーの感想を終えるが、全体的に、上級生は日舞経験があって無難に踊れているが、若手にいたると着物の着付けからおかしいまま舞台で歌っている人もいて、このまま日舞ショーの公演を継続させるなら、普段の日舞のレッスンにもう少し力をいれるべきだろう、と思った。やはり、伝統がある日舞は奥が深いですねえ~。
ニュー・ミュージカル
「シニョール・ドン・ファン」
作・演出:植田景子
衣装デザイン:コシノヒロコ
<解説&ストーリー>
ミラノのファッションブランド‘ドン・ファン’は、世界中の女性の憧れの的。そのトップデザイナー、レオ・ヴィスコンティはクールでエレガント。華やかな女性に常に取り囲まれ、現代のドン・ファンと評されていた。だが、その女性遍歴からトラブルが絶えず、その尻拭いをさせられる私設秘書ジョゼッペは、ほとほと嫌気がさしてきている。
そんなある日、レオに差出人不明のブラックメールが届く。今まで多くの女性を泣かせてきたレオに天罰が下るという内容であった。危惧するジョゼッペが止めるのも聞かず、レオはサルデーニャ島へとバカンスに出かける。
ミラノのファッション業界を舞台に、ヨーロピアンテイストの洒落た味わいで綴る、‘愛の寓話’のミュージカル。(ちらしより)
<メインキャスト>
レオ・ヴィスコンティ(イタリアファッション界のトップデザイナー):紫吹淳
ジル(ベルギー出身の二流バレエ団のダンサー):映美くらら
ロドルフォ・ドメス(レオのパリ時代からの旧友、ビジネス・パートナー):汐風幸
セルジィオ(ホテル‘レジーナ・ビアンカ’のコンシェルジュ、ジルの恋人):彩輝直
スティーブ・オースティン(ローサのマネージャー):大空祐飛
ジョゼッペ・ベルゴーニ(レオの私設秘書):霧矢大夢
フィリッポ(パトリシアのボーイフレンド):月船さらら
ローサ・ヘミング(ハリウッド女優):美原志帆
パトリシア(田舎出身のモデル):紫城るい
カトリーヌ(フランス人高官の妻):城咲あい
<感想>
「ドン・ファン=紫吹淳 という組み合わせはあっているが、観る人によって好き、嫌いが分かれる作品」
超個人的感想
「あのリカちゃんのアクに1時間20分付き合うのは大変だー」「BE 正統派!」
まず、初めて出てきたジャンル「ニュー・ミュージカル」とはどういうことをいうのだろうか、と考えた。すると「新しい」と思われたところは次の4点である。
〔1〕トップコンビが結ばれない
〔2〕本当のファッションデザイナー提供の衣装
〔3〕ミステリー仕立て
〔4〕「主題」→「帰結」があまりにもありきたり
まあ、一番斬新なのは〔1〕だが、〔2〕に関しては10年前に「パルファン・ド・パリ」に高田氏の衣装提供というのがあったし、〔3〕に関しては昨年の「ガラスの風景」にあったばかりだし、結局のところ〔4〕を強調すると、「ライト・ミュージカル」というところか。
というのは、〔4〕の主題は「愛とは何か分からない」「何を信じればいいか分からない」で、帰結が「愛とは信じること」「愛は心の宝石」となり、はっきりいって乳幼児以外にはほとんどの大人が分かりきっている答えでとても感動など呼べるものでない。これが、『ルードビィヒⅡ世』では「人間は夢を見てはいけないのか?」、『エイジ・オブ・イノセント』では「人間は同時に2人の人を愛してはいけないのか?」という骨のある主題にたいして、「なるほど、こういうふうに処理するのか」と思わせた植田景子先生の作品とは思えない。4月公演ということで、大衆向きするミュージカル作りを心がけられたのだろうが、やはり感動を呼ばないような作品では7500円払った価値がない。コシノ先生の衣装コレクション見物料としか思えなかった。
次に、紫吹淳=ドン・ファンとしたのは、彼女の個性を考えてのことだろうが、正直、1度観ただけでは、紫吹ファンでない人間にはいやになるかも知れない。金子も2回目は、ある程度割り切って観たからよかったが、1回目のときは正直、「1回観れば十分」と思ったほどだ。この主人公、レオは私設秘書でさえ「あのキザったらしい」と言うほどの男である。となると、紫吹の「アクの強さ」全開である。この「アクの強さ」というのは、ご存知の方はこれだけいったらお分かりになるだろうが、よく言えば凝っていて、独創的でスタンスが一歩前、悪く言えばやたら格好つけていて、ふてぶてしい、と書くのが適当だろうか。
よって、「紫吹のアクを受け入れられるかどうか」+「感動できない」で50点の作品である。それは、紫吹ファンなら20~30回は行きたい公演だろうが、一般宝塚ファンにとっては2回で十分である。トップ就任時、紫吹は「あの人、ああいう個性があるけれど、トップとして受け入れられる実力があって、トップと認めざるを得ないわ」と衆人が合意するところまで芸を高めたいと言っていたが、正直(何回使っているのだ?)、今回のドン・ファンはきつい。金子としては「リカちゃん、相変わらずアクが強いね。でもトップはやはり、二枚目=正統派の部分をどこかに残しておかないと宝塚の舞台の中心に立てないのではないかしら?」と問いかけてみたくなった。それを裏付けるのが上に書いた客席の入りではないだろうか。
閑話休題。10日この紫吹のドン・ファンで頭が痛くなって帰った金子、次の11日には宙組和央ようかのディナーショーに行った。席は後ろから2列目。宴会係の不手際でショーのまえ、少しいらついたが、ショーの中で「皇女アナスタシア」の芝居のような場面(30分近くやっていた)があって、そこでは和央=アナスタシアを助けるイギリス情報部員
花總=アナスタシア でやっていたのだが、和央が黒燕尾を着て「これは失礼しました。皇女さま」や「君を助けに来たのだ」などと、傭兵ピエールと正反対な超二枚目をやっているとあまりにもすっとしていて正統派なので、「リカさんとどちらが宝塚のトップらしいのだろう」と思って、ホテルを出ると頭がくらくらしてしまったのだ。しかし結論は「どちらもトップである」のである。こういう、正反対の2人が同時期に宝塚のトップとしていることがまた、面白いのであろう。
本編にもどって。忘れてはいけない、コシノ先生の衣装だが、初め女役さんたちがどっとコレクションを着て銀橋をあるくと、「ファッションショーではないよぉ」と思ったが、全編を通しては高田氏の時ほどファッションショー的には感じなかった。ただ、女役さんの服自体はいいのだが、アクセサリーはあまりにもごてごてしすぎていて、違和感があった。レオの衣装はポスターに載っているのはあまり感心しないが、劇中での衣装は貴族らしい(レオは本当のところは貴族の血を引いていないのだが)テイストは感じられた。一方、ロドルフォの衣装は3着しかなくて、退団されることだし、少し増やしてあげてもと思った。また、ジルの衣装もポスターに載っているのは凄く大きな意味合いがあるのだが、どうしてもぺらぺらに見えて、ジルの姉、マリーが本当にあれを着るのを楽しみにしていたのかという点では、一般人にとっては疑問が生じた。全体的には「コシノ先生の衣装はミラノのファッションといっても通じるでしょう」という感じで、まあ無難に納まっていたと思う。
それでは、人別に。
レオ・ヴィスコンティの紫吹淳(リカさん)。あらかたは上に書いてしまったが、2回目前のほうで観ていると、ただ一人の恋人、死んだマリーに対しての懺悔と忘れられない気持ちがずっとあって、それを紛らわせるために「ドン・ファン」している、という役作りに見えた。それだから、ローサにスティーブのところにいかせるところなど、他人への思いやりが溢れた二枚目になっている。ただ、髪型は鬘だがちょっと凝りすぎの感じがして、地毛の金髪でいいのではないか、と思った。主題歌「ドン・ファン」は前半歌詞がはっきり分からないところがあるが、後半はリカさんの声域にあっていて、「♪ただ1つの愛~」などははっきり聞こえた。最近CS放送で見た『大海賊』のころと比べると本当に進歩している。
また、短いフィナーレでは、伝統の黒燕尾でバラを持って踊るところは、日本人離れしたスタイルのよさと、「流麗」という言葉がぴたりと当てはまるダンスに酔いしれた。他の人(例えば、バネが効いて確実なステップを踏む霧矢など)見ようとするのだが、ここはどうあがいてもリカさんに釘付けである。ただ、その後銀橋で「♪カタリ カタリ」は歌わないほうがいい。リカさんなら、大浦みずきさんほどとはいかなくても、銀橋を踊りながら渡るだけで十分オーラが出る人だと思うからだ。美々杏里に陰ソロしてもらえばいい。とにかく、自分の個性で勝負しようというところは潔さを感じた。
ジルの映美くらら(くらら)。一見は可憐な女性であるが、本当は初めてレオにあったときから、「姉の仇」と付け狙っていて、最後は・・・。という意外とどんでん返しのある役であるが、1回目観たときは最後ピストルをもって出てくるとは全然予想できなかった。そう思わせることは上手いのかもしれないが、他の登場人物はそれなりに「レオを殺す」と言っているので、ジルにもそれなりに複線を張っておくべきだと思う。これは脚本のミスだと思うが。2回目はタネ明かしを知っているので、くららはレオのことを「姉の仇」と思って見ているか、と一生懸命観察したが、どうもその気配がないので、難しいがここは1つ可憐な振りをして実は探っているという演技が出来たらもっといいと思う。
ロドルフォの汐風幸(コウちゃん)。レオのゴーストデザイナーに甘んじていられない、野心家で嫉妬に燃えていて、策略家という一筋縄ではいかない役を余裕すら感じる出来栄えであった。全部の役の中で一番難しいかと思うが、いかにも胡散臭い人物を作り上げていて、有終の美を飾った。しかし、である。家に帰ってよく考えると、ロドルフォはそんなにレオに嫉妬するのなら、レオのブランドにはひどいデザインを書いておいて、それと同時に自分で一般受けする素晴らしいデザインを書いてそれを発表して、自分のブランドを立ち上げ、レオのブランドを追い落とすということも可能ではないか?ここも脚本に疑問を感じた。しかし、コウちゃんとしては芝居巧者の面を十分に出して、きっと芸能界でもいい役者として活躍できるだろう、と感じた。退団が惜しい。
セルジィオの彩輝直(さえこ)。昔はプレイボーイでも、今はジルをひたすら愛する甘い二枚目で、専科にしては簡単すぎる役のような気がしたが、正統派で良かった。この人には、トップにするなら、もう少し難しい役を今のうちにこなせるようになってもらわないと、いざトップになるとすればこのままでは困る、と思う。朝海ひかるの二の舞はゴメンだ。今回に関しては、十分役どころをこなしていたと思う。
スティーブの大空祐飛(ゆうひ)。彼女の怜悧な美貌と台詞からブラックメールをだしたのは彼ではないか、と一番思うのだが、レオに関わる本筋から外れているので役が小さい気がした。しかし、ローサと結ばれるところは冷静沈着でこういう男は頼りがいがあるな、という雰囲気が見えた。ソロもあり、ポスターにも載って、これからどういう風に扱われるのか楽しみだ。
ジョゼッペの霧矢大夢(キリヤン)。初めの「ジョゼッペの嘆き」とでもいうシーンは独壇場で、気持ちが良くなるほどの好演であった。そのあとの「レオ様 レオ様」と振り回されるシーンはフィトワーク良く、芝居の清涼剤になっていた。今度は、専科なしで二番手としての活躍が見たくなった。とにかく何でも出来る人であるが、今は1つ「これはどんな人も寄せ付けない」という武器を作っておくといいだろう。金子が提案するなら歌か。
フィリッポの月船さらら(さらら)。登場人物の中で唯一都会的でない田舎の青年だが、まあ現在の彼女の背丈にあった役だろう。パトリシアに本当の自分を気づかせるところ以外しどころがないが、パトリシアのことを心から理解している、というところはきちんと押さえられていた。
ローサの美原志帆(こも)。かつてはハリウッドの大女優であったが、その絶頂期もすぎ、人生の岐路に立ち、倦怠感をもったプライドの高い女を余すところなく演じていた。リカさんと同期というところもあるのだろうが、2人の関係は他の女とよりずっと大人で洗練されていた。最後はマネージャーにスティーブと結ばれるのだが、本筋とは別に大分の部分をとっていて上級生らしくちゃんと締めていた。
パトリシアの紫城るい(るい)。「目下のレオの恋人」ということで舞い上がってしまっている女の子だが、今風のドライなところ、エステやダイエットでもなんでもやる!というきゃききゃきしたところがよく出ていた。フィリッポにとって「憎めない女の子」という感じは良く分かった。
カトリーヌの城咲あい(あい)。CS放送のニュースでお馴染みの彼女だが、フランス人高官の妻なのだが、夫が愛してくれないのに不満をいだき、レオの誘いに心躍らせる役だが、まず初めから終わりまで髪型が同じなのはいただけない。また、レオが鍵を渡してくれたとき心がときめくところの感情表現がパトリシアと同じようで、人妻の久しぶりのときめき、はパトリシアの舞い上がりと違うように表現して欲しかった。また、レオに会う前にカジノでの賭けをするときも、もっと倦怠感があり無機質な感じが欲しかった。まだ、新進娘役さんなのでこれだけのことは難しいだろうが、公演を重ねるごとに頑張って欲しい。
以上、色々書いたがこれで終わる。
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