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429. 星組大劇場 「愛するには短すぎる」「ネオ・ダンディズム!」
ユーザ名: 金子
日時: 2006/9/13(21:49)
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星組 宝塚大劇場公演
9月7日→2階1列23
9月8日→2階当日B席(2000円の席、並んだ)
9月12日→1階13列51・52 (母と)
ミュージカル
「愛するには短すぎる」
原案/小林公平
脚本・演出/正塚晴彦
<解説>
船上という限られた場所、4日間という限られた時間の中で起こった束の間の恋。それゆえの純粋さと狂おしさ、素晴らしさを切なく美しく描き出す。
フレッド・ウォーバスクは元の名をマイケル・ウェインと言い、7歳のとき一攫千金を夢見た父に連れられ、母と共にニューヨークへ出て来たが、父母と死に別れ、孤児院のオーナーで資産家のウォーバスク氏に認められ養子となっていた。そして今、フレッドは英国留学を終え、友人のアンソニー・ランドルフと共にサザンプトンからニューヨークへと向かう大西洋横断豪華客船の船上にいる。ケンブリッジの大学院を卒業し養父の事業を継承すべく帰国の途にあった。
航海初日、フレッドは船のバンドのメンバーであるバーバラ・オブライエンという女性と知り合う。二人は幼馴染みだったことを知り、お互いの心にささやかなときめきと葛藤をもつ。しかし、それは胸の中に留めておくしかない感情だった。フレッドは帰国後資産家の娘と婚約することが義務付けられていたのだ。
心に拭い難い疑念が沸き起こり、自らの生き方を自身に問いかけるフレッドだが、そんな時アンソニーがバーバラに一目ぼれしてしまう。
男二人の友情と恋の鞘当。フレッドとバーバラの微妙な心の推移。そんな想いを乗せ、船はニューヨークへと進んでいく。
航海が気持ちの整理に力を貸してくれることを願い船のタラップを上ったフレッド。自らの生き方にどのような答えを見出すことができるだろうか・・・・。(ちらしより)
<メインキャスト>
フレッド・ウォーバスク<マイケル・ウェイン>(ジェラルド・ウォーバスクの養子、財閥の御曹司):湖月わたる
バーバラ・オブライエン<クラウディア・ヘニング>(船のバンドに所属するショーチームのメンバー):白羽ゆり
アンソニー・ランドルフ(フレッドの友人):安蘭けい
フランク・ペンドルトン(バンドマネージャー):柚希礼音
<感想>
「久しぶりの『正塚ワールド』」
テーマは明快だった。「恋において、愛し合った時間がその価値ではなく、互いの思いの丈がその価値を決めるのである」。もうひとついうならば「やはり『元の鞘に収まる』ほうが妥当な選択なのである」ということか。最近の正塚作品は、そのテーマ性の薄さからちょっと敬遠しがちになっていたのだが(特に、今年の花組バウホール『スカウト』。「2回観たら分かる」と「歌劇」の読者評にあったが、2回見る人間がどれだけいるのか)今回は小林公平氏原案、ということでテーマ性がしっかりしていたように思う。
以前から書いているが、正塚作品の特色というのは、実際に起こりそうな話が繰り広げられて、そのなかで笑わされたり(未沙のえるは素晴らしいの一言に尽きる)、ほろりとさせられたり、最後にテーマを受け取るにあたりじんとくるが、いざ終幕して考えてみるとお話のほうは良く考えたらありえないフィクション、ファンタジーであるが、テーマは実際の生活になにか問いかけるところがある、というところだと思っている。今回はこの「正塚ワールド」が公平氏の原案が少し古典的で、しかし普遍的なので、上手くよみがえったと思う。
しかし、主役3人だけで出来そうな芝居であるので、あとの出演者は脇筋を演じるだけの役者となってしまい、出番が少ないので、ファンの方には不満が出るだろう。やはり、大劇場でやるからには80人全員とはいわないが、その出演者を上手く動かすことが演出家の使命かと思う。
あと、ドリーがヒロイン役を得るために自殺未遂騒動の狂言をするところがあるが、あれはちょっとやめてほしい。「自殺」が国家的に取り上げなければならない問題になっている現代日本。あまりよいとは思えない。色仕掛けのほうがよかった。
それと、バーバラの言葉がちょっと乱暴に聞こえる科白があった。宝塚のヒロインはやはり、役柄はショーガールでも品性ある言葉をしゃべるべきだと思う。とくに、バーバラは賢明な女性だから特にそう思った。
と、自分では「まあ、75〜80点出せるな」と思っていたところで、最後に一緒に観劇して母にこうつっこまれた。「あのさあ、あの名画『めぐり逢い』みたいに『元の鞘に収まる』のをやめるほうがロマンチックで宝塚的じゃないの?早々に『元の鞘に収まる』に決めるから眠くなるよ」。たしかにそうだ。これは、公平氏の原案の考えが現実路線と考えるべきか、サヨナラ公演だから彼女を連れて行けないと考えるべきか、いや、上演時間が映画ほど長くないと考えるべきか、なのだが、まあ「サヨナラ公演だから」で今回はこれでよし、と自分としては思うことにする。しかし、そういわれると『めぐり逢い』は著作権が取れたらぜひミュージカル化して欲しい。(ご興味ある方はレンタルDVD店へ。何度もリメイクされていますが、デボラ・カーとケイリー・グラントのがお勧め) 後は人別に。
湖月わたる。フレッドという人は、「こうあるべき」と示された道を、誠実に、まじめに、我慢して受け入れ、その期待に応じてきた人。たぶん、これまで、少しの脱線もしたことなどないだろう。「課せられた人生」を歩んできたのだ。そんな彼が、バーバラと出会い、初めて恋をする。あまりに突然で時間もない。どう対処していいかわからず多弁になり寡黙になる自分。しかし、最後は恋の重みを心にしっかりと残して、これからの人生は「示された道」でも自分の意志で切り開いてゆこうと決心して船を降りる。非常に好感の持てる人物像である。そういう人物を湖月はまじめに丁寧に演じている。湖月の好感度とフレッドが上手くリンクしていて最後としてはとても良かった。また、早くから注目され、宝塚の「男役の型」をまじめに守ってきた彼女の芸風ともリンクして見えた。やはり、後半はサヨナラを意識させられるが、白羽とも息があっており切なかった。「サヨナラ公演」はこうでなくてはならない、と思った。
白羽ゆり。一般的に同年代なら女性のほうが考え方はしっかりしている、というが、バーバラはそういう女性だ。フレッドに対して恋心を抱くも「元の鞘に収まるのがあなたの歩むべき道」と説く。こんな美人で賢明な女性がごろごろいたらもう金子などやっていけないが、フレッドが恋したのはバーバラの美しさと賢明さなのだろうな、と納得できる出来だった。ショーの場面の華やかさはこの人ならでは。度胸は今まで観た主演娘役の中ではトップだとおもうし、技量も努力しているのが分かるので、このまま星組にいて欲しかったが、雪組での活躍を祈る。まずはエリザベート役かな?今の彼女ならかなり期待できる。出来れば、長く宝塚にいてもらいたい。
安蘭けい。フレッドと対照的で、楽天家でユーモアもあり、人にちょっかいを出しているように見えるのだが、それは他人を分析しているのであり、一見唐突に思えるのだが、実は相手に対して良かれと思う行動をする自由人。そして、フレッドとの一番の違いは、「自分の意志の命じるまま生きてきた」という点。よく考えたら、帰国して劇作家として儲かるか儲からないかも分からないのに「だめだったら、君の会社に入れてくれ」という能天気さ。フレッドとはいいコンビだ。この役は下手にやると「お調子者の厄介者」になってしまうとおもうのだが、さすが安蘭はきちんとおさえた。役作りは難しかったようだが、舞台では生き生きして見える。2番手として大劇場でこれほど出番と歌のある役は最初にして最後になってしまったような感じだが、これだけ上手いと「次は大丈夫」とファンとしてはさらに安心してしまう。湖月と2人で歌う歌はどちらも秀逸。最後にトップとこういう役柄で組めることは組としてもあるべき姿だったかもしれない。
柚希礼音。バーバラにほれているのだが、袖にされるので、仕方なく借金を質に彼女の気を引こうとする。アンソニーから小切手を受け取ったらいわれるままに消えるので悪いやつではないのだが、押し出しもよく目立った。
最後に宙組から組替えできた和涼華の上品な容姿とノーブルさが目に付いた。
ロマンチック・レビュー
「ネオ・ダンディズム!」−男の美学−
作・演出/岡田敬二
<解説>
1995年、真矢みきら花組によって上演し好評を博した『ダンディズム!』のような色合いを持つ、宝塚の男役の美学を追求した、ロマンチック・レビュー。激しいダンシング・シーン、熱いストーリー・バレエ、感動的なコーラスと群舞などにより構成された、ロマンチックでエキサイティングなレビュー作品。(ちらしより)
<感想>
「宝塚の「男役の型」を堪能できる55分」
前作『ダンディズム!』(以下95年)はロマンチック・レビューシリーズの中で一番好きな作品なのだが、この作品は3番目にはいりそうだ。(2番目は98年『シトラスの風』)あまり好きでないアジアの場面もないし、とにかく「男役」「娘役」の宝塚の伝統の型を前面に押し出した形で、もうここ以外では堪能できない世界だ。
まず、「男役の型」が幕開きから明確に示される。「男役」とは単なる「女性の男装」ではなくて、宝塚が90年以上にわたって築き上げてきた「型」なのである。外の世界では絶対やりえない。そのフィクションの「男」が示す美学が、普通の現代の男性ではなかなかやりえない「男の美学」となるのである。近そうで難しい世界観である。その「男役の型」を星組生が下級生まで継承しようとしている。特に体全体を使って踊る、主演男役でサヨナラ公演となった湖月わたるがその「型」を体現している。そして、続く安蘭けいもその歌唱力で「男役の歌」というものを表現している。とても見がいが有る。
しかし、娘役も忘れてはいけない。彼女たちはこちらもまた90年にわたって創られた「女がやる女」の型を継承している。主演娘役の白羽ゆりのあでやかさ、陽月華のシャープさは好対照だ。
以前、植田紳爾先生が書いておられたが、星組という組は伝統的に「宝塚する」ということに躊躇しない組であると思う。男役でいえば「くさく」「キザに」、娘役でいえば「可憐に」「男役の邪魔にならずに自分も輝く」ということである。この「宝塚する」ことに関しては、一時ある主演男役の繰り広げた説でかなりぐらついた時期もあるのだが、星組は代々の主演男役の影響か、下級生でもリーゼントばっちりで彼女らなりに上級生を見習って「キザる」ことに抵抗があまりないように思える。その時代にあわせていろいろな男役論はあってしかるべきだと思うが、やはり「宝塚する」のは宝塚でしかないのだから、入団した以上は「宝塚の男役」「宝塚の娘役」に専念して欲しいと思うのは、いわゆる「ディープなファン」の願いなのだろうか。95点。
第1章 オープニング
圧巻、壮観という言葉に尽きる幕開き。95年のハイライトシーンをいきなりオープニングに持ってきて1人以外男役だけのナンバー。とてもインパクトがある。これこそ宝塚以外では観ることは不可能な世界である。いきなりショーの世界に引き込まれた。
第2章 ネオ・ダンディズム
ここは娘役も登場して中世風の場面。ここでは娘役の可憐さが5人の男役を包む。特に「バラの乙女S」とある白羽のあでやかさは本当のバラに勝るとも劣らない。
第3章 アディオス・パンパミーア
ガウチョの衣装というのはショーでは今まで出てきたことがないと思うのだが、湖月のシルエットが美しい。男役のパワーに負けまいと伍する娘役、特に陽月の踊りはポーズのよさが一つ一つ決まって美しい。もうここまでで相当観た感じがした。
第4章 キャリオカ
以前CS放送の視聴者のリクエスト番組で「中詰め」のお題があったとき、これをリクエストしたのだが、見事はずれて「番組からのお勧め」の中に入っていたのだが(ちなみにリクエスト多数はラテン系)本当に一番好きな中詰めだ。まず、1曲長く繰り広げられるのがいい。あのアステアの白黒映画がカラーになってライブで楽しめる。時代を超えた楽しみである。95年のときも「生きていて良かった」と正直思った。今回も「ああ、また観られるとは幸せだ」とつくづくかみ締めた。最後に近づくほど、踊っている全員の気分が高揚してくるのが客席にまで伝わり、本当に幸せな気分になる。
第5章 惜別 −オマージュ−
ここは、純粋に湖月を送る場面と思う。彼女が歌わずにダンスだけでその思いを表現し、最後は達成感にあふれた表情で消えていくのがなんとも印象的だ。そして、組という宝塚の独特の組織もよく表現されている。安蘭が歌う歌詞は組の思いを代表しているのだ。
第7章 All by Myself
名曲だが、名歌手安蘭の手にかかると、歌詞のいおうとすることが良く伝わってくる。後ろのコーラスのメンバーは退団者がいるが、彼女らを見ずに一緒に歌うところが切ない。
第8章 Super Duet
湖月の包容力と、別れを惜しむように自分から抱きついていきそうな勢いの白羽、そして片手のリフトと最後にしても見ごたえ十分。銀橋を一人歩く湖月には「今までありがとう」の言葉しかない。
今年はショーは4本と少ないのだが、いまのところいい作品できているので、あと2本も期待したい。(しかし、どちらもサヨナラ公演だが)宝塚ならではのとてもいいショーだった。
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