花組大劇場「ファントム」

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426. 花組大劇場「ファントム」

ユーザ名: 金子
日時: 2006/7/14(21:44)

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花組大劇場
 7月6日→1階23列41(DVD録画日)
 7月13日→1階13列30

三井住友VISAミュージカル
『ファントム』
脚本/アーサー・コピット
作詞・作曲/モーリー・イェストン
潤色・演出/中村一徳
翻訳/青鹿宏二

<解説>
 19世紀後半のパリ。オペラ座通り、遅い午後。無邪気で天使のように美しい娘クリスティーヌ・ダーエが、歌いながら新曲の楽譜を売っていた。群衆の中にいたシャンドン伯爵(フィリップ)は、彼女の声に魅せられ引き寄せられる。オペラ座のパトロンの一人であるフィリップは、クリスティーヌがオペラ座で歌のレッスンを受けられるよう取り計らう。
 オペラ座では支配人のキャリエールが解任され、新支配人のショレが妻でプリマドンナのカルロッタと共に迎えられた。キャリエールはショレにこの劇場には幽霊がいることを告げる。そしてオペラ座の一番地下にある小さな湖のほとりが彼の棲家で、自らを“オペラ座の怪人”と呼んでいると。しかしショレは、これは解任されたことの仕返しとしてキャリエールが自分に言っているに過ぎないと取り合わなかった。オペラ座を訪ねてきたクリスティーヌを見たカルロッタは、その若さと可愛らしさに嫉妬し、彼女を自分の衣装係にしてしまう。それでもクリスティーヌは憧れのオペラ座にいられるだけで幸せだった。
 ある日、クリスティーヌの歌を聞いたファントムは、その清らかな歌声に、ただ一人彼に深い愛情を寄せた亡き母を思い起こし、彼女の歌の指導を始める。ビストロで行われたコンテストで、クリスティーヌはまるで紙が舞い降りたかの如く歌った。クリスティーヌの歌声を聞いたカルロッタは、彼女に「フェアリー・クイーン」のタイテーニア役をするよう進言する。フィリップはクリスティーヌの成功を祝福すると共に、恋心を告白する。ファントムは幸せそうな二人の姿を絶望的な思いで見送るのだった。
 「フェアリー・クイーン」初日の楽屋。カルロッタはクリスティーヌに盃を差し出した。これはクリスティーヌを潰すための罠だったのである。毒酒と知らずに飲んだクリスティーヌの歌声は、ひどいありさまだった。客席からは野次が飛び、舞台は騒然となる。怒ったファントムが、クリスティーヌを自分の棲家に連れて行く。それはクリスティーヌへの愛情の表現にほかならなかった。しかしそれが、やがて彼を悲劇の結末へと向かわせることとなる・・・・・。(ちらしより)

<メインキャスト>
ファントム(オペラ座に潜む怪人):春野寿美礼
クリスティーヌ・ダーエ(オペラ歌手を目指す少女):桜乃彩音
ジェラルド・キャリエール(オペラ座の前支配人):彩吹真央
フィリップ・ドゥ・シャンドン伯爵(オペラ座のパトロンの一人):真飛聖

<感想>
「宙組版がよすぎたのだ」

 1回目は1階A席で観たためか、「え、二番煎じというより、迫力不足だな」と感じた。道々「花組はここのところ海外ミュージカルにあたっていないからアンサンブルが弱いのか」などと考えたのだが、答えが出なかったので、家に帰って宙組のDVDを観た。

 宙組版は、今考えると主要キャストは当時の宝塚としては最高で、その出演者にのせられて、演出・スタッフが魅力的な作品に作り上げ、この作品の欠点も含む「本質」以上のものができてしまった、いわば「雪の結晶」のような公演だったと思う。今回の花組はこの作品の「本質」と花組の持てる「自力」がでたにすぎないのだ、という結論に至った。人別に思ったことはあとで書くが、それ以外のことから。

 やはり、この作品の「欠点」というのは、物語が約2時間を使うには少しボリュームがないということだろう。「中だるみ」を感じるところがある。具体的に言うと「カルメン」のリハーサルがファントムによってむちゃくちゃにされてしまうところとか、ファントムの真実が語られた後のダンスナンバーとか。

 あと、宙組と比べて日本語歌詞がほとんど原語を使わないように変えられていたが、それは違和感のない日本語になっていたので気にはならなかった。むしろフィリップの二幕の歌は状況が暗いからえらく編曲が変わっていたのだが、あれはかなり違和感があった。『コパカバーナ』とは芝居の内容が違うから仕方ないが、この作品の日本語脚本はスタンダードな日本語で耳に入りやすい。

 ラストは宙組の大劇場・東京ともちがって、クリスティーヌにファントムが見えているような見えていないような、という感じだが中道でこれもありかと思う。しかし、オペラの曲を使ったフィナーレは、DVDがずたずたカットの可能性大なので、パリだからシャンソンメドレーとかにしてほしかった。75点。

 春野寿美礼。「孤独」の色合いが非常に強いファントム。純粋だからこそ、残忍にもなれるし、優しくもなれる。2回目は前方で観たせいもあるが2幕は非常に緻密で繊細な演技で、感情も乗っており彼女の大劇場の役では一番良かったように思えた。(先週ではなく、今日DVD録画すればいいのに、とひそかに思った)しかし、彼女の歌の特徴は、よく言われる「ベルベットのような美声」をいかした、メロディ重視、あるいは曲のムードを際立たせる歌いかたで、それはショーや普段の芝居ではいいのだが、今回はミュージカルで歌詞は台詞の一部だから、歌詞をもっと伝える歌い方を今回ばかりはお願いしたかった。どうしても演技と歌の間に段差ができてしまうのだ。今回は演技が良かっただけに相当惜しく感じた。

 桜乃彩音。まず、歌は地声とファルセットの区切りがはっきりとついており、安定感に欠ける。そして、今回彼女の声を聞いて改めて「娘役の声」というものを考えさせられた。彼女の舞台の台詞の声は、どちらかというと、くぐもった低い声である。一方、クリスティーヌのイメージをあげると、削りたての鉛筆の芯のような、あるいは渓谷で誰にも知られることなく清らかに流れる小川のような、そういうイメージの「歌姫」である。どの娘役さんも普段の地声と舞台の声はちがうが、だいたい高くシフトしている。彼女の舞台の声はもちろん地声によるところが大きいだろうが、以前柴田先生が低くなっていた舞風りらの声を高くするようにとおっしゃたそうだが、やはり声も男役と違って作らないと宝塚はやっていけないと思う。今回はクリスティーヌ役だけにそう感じた。演技に関しては清純可憐で、春野との息もあっておりよかったと思う。ただ、個人的に、星組の白羽ゆりのように劇団側は育てて待ってほしかった人材だと思う。これは花組の他の娘役とのバランスも考えて。

 彩吹真央。はじめから息子への罪悪心を抱え込んだようで、存在が重くて登場していなくて常に存在を感じる。1幕の歌がカットされてしまったから余計に、二幕のファントムと歌う銀橋の歌で感情があふれ出すという感じ。2回目に観たときは、春野とともに銀橋の場面は感情のほとばしりが客席まで伝わってきて、非常に良かった。戦力として確実に計算できる人だけに、花組からいなくなるのは残念だが、今の雪組にはいないタイプなのでいい組替えになること祈る。

 真飛聖。プレイボーイの2枚目のお坊ちゃん、というより頼れるさわやかな好青年という感じで、クリスティーヌを大切にしているというのが良く分かる役作りだった。星組時代にはあまりなかったとおもう役だが、好演していた。歌もリズムの取り方など意識して歌っているようにおもった。

 最後にパワーアップした、出雲綾のカルロッタが人物模様に大きいスパイスとなっていることを忘れてはならないだろう。
 


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