月組大劇場「暁のローマ」「レ・ビジュー・ブリアン」

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422. 月組大劇場「暁のローマ」「レ・ビジュー・ブリアン」

ユーザ名: 金子
日時: 2006/5/20(18:03)

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月組 宝塚大劇場
5月14日→1階21列32
5月19日→1階8列7・8(父と)

ロック・オペラ
『暁のローマ』―「ジュリアス・シーザー」より―
脚本・演出/木村信司

<解説>
 シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」を原作にして、ポップな音楽をちりばめた、ロック・ミュージカルをお届けします。
 原作はカエサル(シーザー)、ブルータス、アントニウス、またブルータスの友人カシウス、初代ローマ皇帝となるオクタヴィアヌスなど、カエサルの暗殺を題材にとった男たちの物語です。そこにブルータスの妻ポルキア、ブルータスの母でありカエサルの愛人でもあったセルヴィーリア、また、カエサル暗殺当時、カエサルとの子を抱え、たまたまローマに滞在していたクレオパトラの視点を交え、女性たちから見たローマ帝国の黎明期をも描きます。君主制か、民主制か、強い男か、誠実な男なのか。ローマの歴史は現代まで通ずる世界の歴史でもあります。あの有名なカエサルの台詞、「ブルータス、おまえもか」を巡る男と女の世界史が、ポップなロック・チューンに乗せて、いま宝塚に甦ります。(ちらしより)

<メインキャスト>
カエサル(ローマの将軍):轟悠
ブルータス(共和制をローマの理想とする共和主義者):瀬奈じゅん
ポルキア(ブルータスの妻):彩乃かなみ
アントニウス(カエサルの副将):霧矢大夢
カシウス(ブルータスの友人):大空祐飛

<感想>
「やはりシェイクスピアは偉大だ」

 木村作品なのだ、夢もロマンも出てくるはずはない、政治劇だ、と割り切ってしまえばまあすっきりとみられた。しかし、これは原作(日本語訳、新潮文庫、福田恆存氏訳)を読んで、CS放送で86年花組『真紅なる海に祈りを―アントニーとクレオパトラ―』を見た上での感想である。予備知識なし、プログラム読まず、ではほとんど歌でつづられる形式なので難解な印象をもたれるのではないか、と思った。テーマは「理想か、現実か」とうことだろう。

 ハイライトは今回の場合は3つだろう。まず、カエサルの暗殺。これは、「ブルータス、お前もか」の名台詞のあとに「ならば、いい」とカエサルがブルータスを許すところがアレンジされている。つぎにアントニウスが今風に言うとド派手なパフォーマンスで民衆の心をつかむ場面だが、原作の名台詞が歌詞となってしまったので、あまり原作を読んだときほどドラマティックに感じなかった。ここは、もう少し芝居じみても霧矢大夢にもっとインパクトを持って演じさせるほうがいいと思う。最後にブルータスの死、であるが、これは原作では「非業の死」という印象を持ったが、今回ブルータスは自分の人生に充足感を抱いて死ぬ。これもアレンジだろう。アレンジされたところはあまり原作の意図を変えることはないように感じた。しかし、原作にあるもう1つのハイライト、ブルータスとカシウスの仲たがいから劇的な仲直り、の場面は演者がオフでも親友の瀬奈じゅん・大空祐飛だから、むしろやって欲しかった。

 気になったことは2つある。1つは、霧矢&北翔海莉の2人が始めと終わりに漫才のように掛け合いをやるところである。始めの方は、導入ということで許せるが、後のほうはブルータスの死で粛々と終了したほうがいいと思う。それにどうみても、吉本みたいでいやだ。また、終わりのほうの「夢かなえます」という台詞は、木村作品においては、たいへんな違和感どころかアレルギーがおこりそうだった。また、人物名であるが、カエサルはシーザーというように、英語名のほうがとおりがいいか、と思う。ポルキア→ポーシャ、アントニウス→アントニー、カシウス→キャシアスというように。

 しかし、ややもするとドラマより政治的メッセージが前面に出てしまう傾向の木村作品にして、あまり鼻を突くほど政治くささを感じさせなかったのは、やはりシェイクスピアの原作の持つ説得力があるからだろう。「古代の政治の話」と割り切れる。現代政治をそれほど批判しているように感じなかった。歌詞ではないが「シェイクスピアはえらい」と思う。75点。あとは人別に。

 轟悠。カリスマ的人物だが、「カエサルはカエサル」という中に「これからローマをよい方向に導くには指導者が必要だ」という今の議会民主主義のような考えを持っていた人物。その考えを信頼するブルータスに説くものの「野心」としてしか理解されず暗殺されてしまう。轟は武将の強さ、実力者の傲慢さ、政治家としての理性、というものをほとんど前半の出番の中できちんと押さえていて、流石の出来だった。最後の「すべての行いは善意から生ずる」という言葉は現在にも通じる。名台詞「ブルータス、お前もか、ならばいい」は素晴らしい台詞回しだった。裏切られた、でも許す、という感情が短い中に込められていた。一度ミュージカルではない、ストレートプレイでシェイクスピアをやって欲しくなった。

 瀬奈じゅん。ブルータスという人物は高潔であるのだが、その高潔さゆえに自滅してしまう、という原作を読んだときの印象はそのまま表現されていた。カエサルか共和制かで苦しむところなどプログラムに書かれているように近代人に通ずるところはよかった。歌詞もよくわかったし、死ぬところも納得が言っている様子が悲劇に救いを与えた。発散型
の主演者だと思うので、動きが制約される超二枚目・様式美が要求される芝居などはどうだろうか。

 彩乃かなみ。もともと女性はほとんど出てこない芝居であるが、苦悩する夫に対して「うそつき(中略)あなたはカエサルを恐れているのです」と指摘するところなどは賢者の娘という良妻ぶりを示した。出番が飛んでいるのでやりにくいと思う。やはり、最後のストレスから狂ってしまうところは、原作どおり火を飲むほうがドラマティックでよかったような気がする。歌の高音部を聴いていると、喉のしめつけなどが感じられず改めて上手いと思った。

 霧矢大夢。アントニウスは人の心を読むのが上手く、弁舌を得意とする知恵者、だと思うが、なんといってもハイライトのカエサルの血のついたマントを示し、遺言書を読むところは正直いまひとつ迫力不足であった。アントニウスはもともと、重い人物ではないが、あそこはインパクト十分のパフォーマンスをしないと意味がない。あそこをしっかり押さえないと、漫才のほうが印象に残ってしまう。演出も含めて東京までに再考をお願いしたい。霧矢ならできるはずだ。

 大空祐飛。ブルータスにカエサル暗殺をたきつけて「野心をくすぐれ」という策略家だが、そんな彼もローマの共和制を夢見ていた、という部分が入っていたのはよかった。しかし、この役の見せ場はブルータスとの大喧嘩からの仲直りだと思うので、大空なら出来たのでは、と思う。大空という人はドラマをしっかり組み立てるのが上手い人だと思うので。

 あとは、北翔海莉のソロの本当にストレートで聴いていて気持ちのいい歌と、城咲あいの押し出しのよさが印象に残った。

レビュー
『レ・ビジュー・ブリアン』―きらめく宝石の詩―
作・演出/酒井澄夫

<解説>
 追憶―琥珀、清楚―真珠、歓喜―ダイヤモンド、嫉妬―ルビー。宝石の持つイメージをテーマに、人生の重要な瞬間を、感覚的に、ドラマティックに取り上げ構成した、宝塚歌劇ならではの豪華レビューです。(ちらしより)

<感想>
「やはりレビューは『宝塚の花』だ」

 観終わって「ああ、宝塚らしいエレガントなレビューはいいなあ」と素直に思った。芝居のいい意味でのしわ寄せか衣装もよかった。こちらだけならあと2回観たい感じ。

 では、なにがいい、と思ったのか。それは「明快さ」と「緩急」だろう。明快さは5つのブロックに分かれていて、その中に「お決まり」の全員出るプロローグ、中詰、ラインダンス、黒燕尾の男役の大階段での総踊り、主演二人のデュエットダンス、パレードとあることだ。また、昨今流行の「物語的なショー」ではなくて、プログラムを読まなくてもついていけるくらいの流れぐらいしかストーリー性はないので予備知識なしに「ああ、綺麗だな」と観られる。

 緩急のほうは、大人数でエネルギッシュに踊ったあとは3人でのコミック的な場面、華麗な中詰のあとは渋いタンゴの場面、と目線が変えられることである。また、曲もこれぞ古典の「♪ラ・ビ・アン・ローズ」のあとは、変わった編曲の「♪ライク・ア・ヴァージン」と曲調が上手くかわっている。基本的にダンスの上手い人は緩急の付け方が上手だと観ていてつくづく思うのだが、要はそれと同じ、もっといえば人生と同じで、緩急がついていると遊びと仕事の差もきちんとつけられるのである。最近のショーはこの緩急がなくひたすらガンガン、どんどん、という傾向が強くて、このあたりは若手の先生も見習うべきところがこのショーにあると思う。

 よく考えると、宝塚の「売り物」はショーではなくて、レビューだと思う。ショーなら「歌謡ショー」と名がつく演歌歌手の座長公演でももれなくついてくる。やはり、きらびやかな衣装、エレガントさ、羽根、スターの個性、そういうものが宝塚の売りだと改めて思った。「私は二十一世紀に生きるのは大変です」と酒井先生は締めくくっておられるが、とんでもない、またレビューを作ってください。よく考えると、このあとの今年の全国ツアーのショー作品はどちらも先生の作品ではありませんか。95点。

第1〜2場 プロローグ
 歌いだしが美しい主題歌からスターがどんどん出てくる古典的といってもいい出だしで、とにかく安心感と、とても全体に衣装・装置が美しいのがいい。瀬奈の銀橋での「♪ダイヤモンドは女性の友達」のアピールもとてもインパクトがあり、前作のこの組のショーとがらりと変った印象を受けた。

第4〜7場 夜の宝石
 美しい宝石に魅せられた若いカップルの夢、だが瀬奈・彩乃が健康的なのに対して、霧矢のほうの妖しさが今ひとつだった。轟の出演により霧矢中心の場面がなくなってしまうのは現行では仕方がないのだがもうひとつ。ここは若い2人らしいすっきりとした結末。

第8〜13場 中詰
 場面が豊富なのでスターの個性が良くわかる。大空のシャープさ、霧矢の甘さ、瀬奈のエネルギッシュさ、そして月組のパワー、とこちらも安心感十分。

第14・15場 追憶のタンゴ、情炎のタンゴ
 ここは轟の「渋さ」が本当に良くわかる場面。今までたくさん轟の歌を聴いてきて「上手く歌っているな」と思うことは多々あったが、今回はその渋さにちょっとぞくぞくした。それは、歌詞に語りの要素がたっぷり入っていることだと思う。最初の銀橋での追憶、最後のやり場のない情熱、どちらの歌もこのショーにおいて白眉だ。やはりそれに絡む彩乃はもう少し粋に願いたい。

第17〜20場 フィナーレ
 大階段の黒燕尾での総踊りの曲はR&Bの調子なのだろうか、素敵な曲だが、ちょっと宝塚ではあまり出てこない曲調。瀬奈も雰囲気をつかもうとがんばって歌っているが、歌詞が特に英語部分がいまひとつわからない。デュエットダンスが少し短いように感じるが、パレードが終わったらおなか満腹、という感じ。


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