花組大劇場「落陽のパレルモ」「Asian Winds!」

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401. 花組大劇場「落陽のパレルモ」「Asian Winds!」

ユーザ名: 金子
日時: 2005/12/5(19:57)

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 こんにちは。大阪の某所で、あの渡辺謙さんにばったり会いました。ほんと、「この人が映画であんなに大きく見えるのか」という一向な感じに、甲子園球場にタイガース応援ゲストにきていらしたのと一緒に、見えました。思わず、最新作「SAYURI」の前売り券かいました。今年の私の観劇はこれで終わりです。

「落陽のパレルモ」
「ASIAN WINS!」

花組 宝塚大劇場
11月17日→1階6列29
12月4日→1階13列50

宝塚ミュージカル・ロマン
「落陽のパレルモ」
作・演出/植田景子

<解説>
 19世紀半ば、イタリア統一をめぐって激動の中にあるシチリアを舞台に、没落していく貴族社会の美学と、新しい時代への希望を託す民衆たち、その二つの相対する世界に生きる様々な人物を描きながら、身分や時代を越え生き続ける愛の軌跡を描いた物語。
 1860年春、イタリア統一の嵐が吹き荒れる中、ナポリのブルボン王朝の支配下にあったシチリア島にも革命の足音が近づいていた。ガリバルティのシチリア上陸に際し、功績の大きかった革命軍の闘士ヴィットリオ・ロッシは、翌年、新しく誕生したイタリア王国の政府軍中佐としてパレルモに帰ってくる。上司であるロドリーゴ・フォンティーニ伯爵と共に、パレルモの有力貴族、カヴァーレ公爵家の舞踏会を訪れたヴィットリオは、公爵家の長女アンリエッタと運命の出会いを果たす。平民出身でありながら、自らの信念のもと、国の未来を見据えるヴィットリオの男らしさに心惹かれるアンリエッタ。ヴィットリオもまた、深窓の令嬢らしからぬ熱い血を感じさせるアンリエッタに興味を覚える。出会いを重ねていく二人。ヴィットリオは、自分は貴族の父と平民の母の間に生まれた子供だとアンリエッタに告げる。身分違いの愛ゆえに引き裂かれた母の為にも、貴族と民衆が平等に生きられる世界を作り出したいと。
 二人の愛は深まっていくが、そのことに気付いたアンリエッタの父アレッサンドロは、この交際を許そうとはせず、ヴィットリオをシチリアから遠く離れた辺境の地へと転任させる。かねてから、アンリエッタに心を寄せていたロドリーゴ・フォンティーニ伯爵は、大貴族の令嬢である彼女が、平民のヴィットリオを愛し続けることが理解できず苦しむ。
 折しも、サルディーニャ王朝によるイタリア新政府の方針に反発するシチリアの民衆たちの間から、新たな反政府運動が起こってくる。自分たちの特権を守り維持しようとする貴族階級と、虐げられた歴史に耐え切れなくなった民衆たちの怒り。
 貴族と平民が平等と認められ、シチリアの歴史が変わる日はいつ来るのだろうか?そして、ヴィットリオとアンリエッタの愛の行方は・・・?
 宝塚歌劇ならではの、愛とロマンに溢れ、華やかなコスチュームに彩られたシチリアの恋物語。 (ちらしより)

 <メインキャスト>
ヴィットリオ・ロッシ(イタリア解放軍の闘士、イタリア統一後、政府軍将校となる。シチリア貴族の父と貧しい母との間に生まれる):春野寿美礼
アンリエッタ・クラウディア・カヴァーレ(シチリアの名門貴族・カヴァーレ公爵家の長女):ふづき美世
ヴィットリオ・ファブリッツイオ・ディ・カヴァーレ(ヴィットリオとアンリエッタのひ孫、オペラ演出で認められた新進の芸術家):彩吹真央
ロドリーゴ・サルヴァトーレ・フォンティーニ伯爵(シチリア名門貴族の御曹司、アンリエッタの求婚者):真飛聖
ニコラ・ジロッティ(ヴィットリオの幼馴染で親友):蘭寿とむ

 <感想>
「二回目はだまされません」

 とても長く観ていたような感じがまずした。それは、ほとんどがヒーローとヒロインの悲恋で、あとは狂言回しの第二次大戦中の二人がいて、脇の筋はニコラとマチルダの交流(?)くらいのものだからだろう。もうすこし、話が動くというのか、アンリエッタが家出するとかして二人の逃避行になるとか、そういうハラハラしたところもラブロマンスには必要かと思った。宝塚らしいコスチューム物だが、ドレスがいまひとつ貧弱に見えたのはまあ、現状を考えれば仕方ないことか。次は「ベルばら」だし。

 それよりもなによりも、最初に本編の種明かしをするということはないだろう。金子も1回目は「あー、二人は結ばれずに終わるのか。いいぞ〜悲恋」と思ってみていたが、墓地のシーンのあと「あっ」と思い出した。初めにヴィットリオ・Fが、ヴィットリオとアンリエッタの肖像画を見て「僕のひいおじいさんとひいおばあさん」といっていたではないか。そう、ハッピーエンドに決まっているのだ!そう思うといっぺんに興ざめしてきて、そして、多分宝塚史上最高にキンキンの軍服がでてきた。2度目はもう種が分かっているから、完璧に長く感じた。2度目は後方だったこともあって、客が引いているのも分かってしまった。(しかし、2回とも金子の隣は号泣。素晴らしい感性を持つ方々だ)

 こう考えてくると、やはり、悲劇になるのかハッピーエンドになるのか分からない、1942年の二人は要らないと思う。ヴィットリオを政府軍に重用してくれる上司とアンリエッタの婚約者とテロリスト・ニコラと3人にして、彩吹・真飛・蘭寿の3人のポスターメンバーに割り当てて、1860年の時系列の話だけにするほうがすっきりするとおもう。たぶん、今の設定は劇団における、彩吹真央・遠野あすかの微妙な位置を保つために作られたのだと思うが。「宝塚グランド・ロマン」を継承すべく植田景子先生が作られた作品だが、先生の研究・思い入れは分かるが、劇団事情における構成で空回りしてしまっている作品だと思う。75点。

 春野寿美礼。「こうあるべき」と思った信念を貫き通す青年。潔さ、決断力など「男らしさ」の要素が求められる役だが、「宝塚の主役」らしくこなしていた。この人はこういういわゆる「二枚目」「紳士的な」という役は無難にこなしてしまう実力があるし、またそういうのが似合っていることは周知のところだ。個人的には『不滅の棘』の余人を寄せ付けないインパクトがあって、あれこそ代表作だと思う。来年雪組に特別出演のアンドレもこのヴィットリオと似ているような感じがしていたところへ、次のドラマシティは殺し屋と書いてあった。そういう役のほうが今の春野においては観てみたい。

 ふづき美世。階級に関係なく広い心で他人とかかわり、思いやることが出来る、深窓の令嬢にしては出来すぎ、というところ。ふづきは柔和さを前面に出した役作りだったが、やはり、「私は男になればよかったと父が申しますの」と自分で言うほどなのだから、「どうして、人は平等に生きられないの!」といったアンリエッタのさけびや、「お別れです」と告げるところでは、もう少し毅然とした態度があればよかったと思う。寄り添うのも女の一面であるが、意思を持った女の一面も観たかった。歌は最後まで課題。

 彩吹真央。出番が飛んでいて、やりにくいと思う。イタリア男らしく情熱的で、でもお坊ちゃまだから、お金のこととなるとおばあさまに頼ってしまうが、それでもおなかの子供に対して誠実さ、というより責任を持とうとする。「男の責任」を感じさせることはできた。

 真飛聖。こちらは、貴族の考え方しか分からないお坊ちゃまで、アンリエッタをめぐってヴィットリオに決闘を申し込むも、取り消されてしまい、最後までアンリエッタの考えが分からないまま、ヴィットリオが貴族と分かると身を引く、という人がいいというか、都合のよいフィアンセだ。むしろ、もっとヴィットリオと対峙し、最後に決闘をして負ける、という気骨を持たせたほうが、真飛の柄にあっているかな、と思う。

 蘭寿とむ。平等を叫び、テロまでしてそれを勝ち取ろうとするニコラ。なかなか存在感があってよかった。マチルダとのくだり、そして死ぬところなどは、いい演技だった。こちらは泣ける。

 主なメンバーを書いてきたが、ニコラの死後、その妹に首飾りを差し出す、優しいマチルダを演じた、桜乃彩音がその美貌と共に印象に残った。

「ASIAN WINDS!―アジアの風―」
作・演出/岡田敬二

 <解説>
 「21世紀はアジアの時代!」。特に日本、中国、韓国を中心にした東南アジア圏は、政治や経済だけでなく文化面でも世界中から注目されている。宝塚の、日本のオリジナル・レビューを志向するロマンチック・レビュー・シリーズの第16弾は、「Asian Sunrise」(2000年・花組)に続いて、私たちのルーツであるアジアを取り上げたオリエンタル・ムード溢れるレビュー。 (ちらしより)

 <感想>
「アジア版『モン・パリ』」

 場面ごとにアジアの国を回っていく、「お国めぐり」だが、それぞれの場面が同じアジアということもあり、あまり変化がつかなく、いまひとつであった。

 結局は「われわれ日本人はアジアの国々をどこまで識別できているのだろう」ということと、「われわれ日本人はアジアの国々が好きか」ということになるだろう。前者においては、「韓流」ブームの韓国、現在は経済、過去は文化交流のあった中国、は過去・現代とも識別できると思うが、あとの国は、例えばモンゴルなど横綱の凱旋帰国の様子のテレビで知ることが出来るのは現代だ。沖縄も北海道よりブームだそうだが、知ることが出来るのは現代で、現地に行かないと琉球王朝の面影はしのべない。今回のショーにおいては、モンゴルと中国の場面は同じように感じた。つまり、地理的に近いから、過去においても現代においても文化的に似ているのである。
 そして、後者だが、「韓流」ブームにどっぷり、という方はいざ知らず。「海外ならハワイかヨーロッパ」というそれこそ服部良一世代の現代の70歳代は不幸な第二次大戦の影響もあって「好き」という人は少ないと思う。金子でも、「今、海外にいけるならどこにいきたいか?」と聞かれたら「ニューヨークかパリ」と答える。ある、関西の頭が切れることで有名な司会者が、アジアを取り上げた番組が中止されるとずばりこういった。「日本人はアジアに興味はあらへんねん」。

 岡田先生は「21世紀はアジアの時代」と盛んに仰っているが、上のように考えてくると、「アジアだけで勝負するのは難しいな」と思う。70点。

 第1章 プロローグ・アジアの夜明け(モンゴル) 〜第2章 群青の海(沖縄)
 今回のプロローグと『Asian Sunrise』(00年)のプロローグが2つ一緒に繰り広げられる。後半は、00年には後ろにいたメンバーが前にでてきたな、という印象。ただ、ここで演奏される沖縄をイメージした曲は、実際現地に行って聞いた民謡とは明らかに旋律が違い「宝塚的沖縄ソング」という感じがした。ここは、みんな声が出て元気でいい。

 第3章 上善如水(中国)
 中国の言葉から、水の精をイメージして作った場面なのだろうが、抽象的でいまひとつ。

 第4章 服部良一メドレー
 例えば、ガーシュイン、コール・ポーターといった作曲家の曲は傑作が多く、発表されたあとも時代・国を超えて歌い継がれて「スタンダード」になっているのだが、さてアジアということで「服部良一」が「日本のスタンダード」になるだろうか。金子の知っていたのは4曲であるが、それ以外は、やはりその時代の流行歌に過ぎないと思う。それが流行していたのは、現在70歳代の方の時代だ。ここは、服部良一に固執せずに、戦後から日本のスタンダードになった曲、平たく言うとどの時代でもカラオケで歌われる曲、のメドレーのほうが、幅広い世代に受けてよかったのではないか。若手がSMAPを歌ってもいいと思うのだが。
 00年に続いて「♪蘇州夜曲」が出てきたが、前回は春野寿美礼のムード重視の歌と今回の彩吹真央のきちんと譜面と歌詞から立ち上げた歌、で両者の歌の違いが出た。ただ、言っておくが、彩吹も編曲次第でかなりのアドリブができる能力を持った歌手である。

 第5章 コリアン幻想
 TVドラマ放映で近くなった韓国の今と過去を表した場面だが、曲を現在NHK総合で放映中のドラマからそのままいただき、というのはお手軽すぎて感心しない。テレビで近くなりすぎて、別に新しさを感じない場面。

 第6章 サンパギータ(フィリピン)
 出演者の説明によると、そうではないそうなのだが、どうみても、昔の彼女の結婚式に未練で来た、という設定に見える。真飛聖、初中心の場面なのだが、似たようなのは『夢フレグランス』にあったし、あっさりと終わってしまう。

 第8章 アジアンウインズのボレロ
 お約束の、黒燕尾の男役の総踊りである。実はこの総踊りを始めて披露したのは花組・大浦みずきさんの時代である。いまや、各組はずせない要素となっているが。今回は、津軽三味線の音が入ってどうかな、と思ったが、正調・羽山節が上手くのった。ここは、宝塚ならではの見応えがある。

 あと、フィナーレであるが、衣装が主演娘役の分まで着まわしなのは残念だ。ああ、来年の「ベルばら」も過去のドレスがばさばさでてくるのであろうか。

 今年は、これで観劇は終わりです。yasuko様、「今年の総括」しますか?


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