星組大劇場「長崎しぐれ坂」「ソウル・オブ・シバ!!」

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338. 星組大劇場「長崎しぐれ坂」「ソウル・オブ・シバ!!」

ユーザ名: 金子
日時: 2005/6/10(15:01)

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 こんにちは。芝居面白くない・・・1階S席が空いているなんてひどすぎる・・・。雑談ですが、どこかの農協青年団の団体さん、ショーを「ソウル(韓国の)オブ シウバ(格闘技ですね)」と観劇前に解釈していて、私一人で爆死しそうになりました。「格闘技が宝塚に出てくるか!」観たら正解分かったのかしら?

星組 宝塚大劇場
5月13日(初日)→B席
5月29日→1階16列26
6月7日→1階4列50 
6月9日→1階7列52

宝塚・ミュージカル・ロマン
「長崎しぐれ坂」
−榎本滋民作「江戸無宿」より−
脚色・演出/植田紳爾

<解説>
 幼なじみの三人の男女が成長し、まったく違う境遇となって再会したことから起こる愛憎劇を、江戸末期の異国情緒溢れる長崎を舞台に展開。神田祭や精霊流しなどの舞踊場面を織り交ぜて、華やかさの中に哀愁ある世界を描き出す。

 江戸末期の長崎。寛永以来、鎖国を守る徳川幕府はオランダと清国だけには交易の小窓を開いていた。その為、長崎では出島にオランダ屋敷、十善寺村には唐人屋敷が広大な敷地を有していた。ことに唐人屋敷は、一個の異国として長崎奉行といえども、手出しのできない治外法権の場所であった。そんな所で、江戸神田明神の氏子である幼なじみの伊左次、卯の助、おしまの三人がめぐり逢った。しかし、十数年の間に三人の境遇は激変していた。伊左次は江戸の大名ばかりを荒らし回り、何人もの人を殺めた凶状持ちとなって唐人屋敷に匿われ、それを追っているのが下っ引きの卯の助だ。幼なじみの伊左次だけはどうしても自分の手で捕らえたいと唐人屋敷から出る所を狙っていた。そしておしまは家の没落とともに長崎まで流れて芸者となっていた。あまりにも変わり果てた境遇の違う三人だが、共に心が通うのは幼いころの江戸のことだ。神田明神の氏子として育った懐かしい幼いころ。伊左次の心に忘れていた望郷の念が生まれた。その心を見透かすように卯の助の目が光った。おしまの荒んだ心にも幼いころの思い出が光明のように輝いた。(ちらしより)

<メインキャスト>
伊左次(江戸無宿):轟悠
卯之助(長崎奉行所の下っ端。伊左次の幼馴染):湖月わたる
おしま(堺の芸者。伊左次の幼馴染):檀れい
らしゃ(伊左次の子分。江戸無宿):安蘭けい
李花(伊左次の女):万里柚美
舘岡(長崎奉行所同心):立樹遥
さそり(伊左次の子分。豊後無宿):真飛聖
らっこ(伊左次の子分。尾張無宿):涼紫央
あんぺ(伊伊左次の子分。土佐無宿):柚希礼音

<感想>
「リピートするのはつらいな」

 金子のことだから、大劇場公演は普段は2回観るし、星組でファンの安蘭けいが出ているものだから、4回も行ってしまった。しかし、かなり後悔している。「誰か行ってくれるのならSS席譲ればよかった」とか。しかし、実際平日の客席は1階S席にさえ空席ありで、チケット握っている限り行かなくては仕方がない状況だった。

 なにがこんなに一言で言うと面白くないのか。まずは「宝塚ミュージカル・ロマン」と称されているジャンルではないと思うのだ。はっきり言えば、祭りの場面がなければ純然たる台詞劇といっていいほど台詞が多い。「ミュージカル」と銘打つのは少しきつい。宝塚の芝居はミュージカルであり、ほとんどの観客も歌・踊り・芝居が一体となったミュージカルを観たくて劇場に足を運んでいると思う。そういう意味では台詞がどんどんと続き、もともとの新国劇の脚本であることが重くのしかかってくる感じだ。よほどの時代劇好きでない限り、一般の宝塚ファン、ましてや『レ・ミゼラブル』や東宝『エリザベート』のような台詞がほとんどないミュージカルを支持される一般ミュージカルファンには「一度観たら十分」といわれかねないと思う。確かに宝塚の日本物は歴史がありなくしてはいけないものだが、もう少し衣装もきらびやかな飛鳥・平安時代などのほうがとっつきはいいのではないだろうか。プログラムに植田先生も書かれているが江戸後期というのはきつい。

 で、その台詞が多くなった芝居であるが、轟・湖月・檀の3人は緊迫した演技空間を作っていて見応えはある。確かに、植田先生が目指される「芝居らしい芝居」だ。これ以上台詞はいらないようにも思うのだが、やはり主役3人が現在の境遇に落ち着いた経緯、具体的に言えば、なぜ伊左次が凶悪犯罪者になったのかなどの説明が必要だと思う。祭りの場面の1つ削ってでも、その説明が必要だろう。あと、3人の比重が多い上に宝塚のスターシステムによって役を作ってしまったものだから、3人以外の役は説明不足だ。宝塚ということでアレンジするなら、もう少し若手は仕方ないとしても、中堅組には見せ場を作るべきだろうと思う。それと、物語の筋もちらしを読んだ次点であらかた見えているところがあり、卯之助の真意も別に「えっ」と思うほどのことではない。

 それにやはり、新国劇は宝塚の舞台のベースにはならないな、と思う。今風に言えば、主役三人は、外国大使館にかくまわれている全国指名手配犯・足が悪い下級警官・社長に世話になっている妾、ということになろう。夢もロマンもあった設定ではない。早くも思わず来年の『ベルサイユのばら』に期待したくなってしまった。輪っかのドレスが早く観たいものである。

 そして、この作品のテーマであるが、「人情」と「郷愁」だろう。いまや小学生が小学生を殺す現在、「人情」が薄ら寒く聞こえてしまう。この芝居を観て、特に卯之助の人情の厚さには感動はするが、さて現実に思いをはせられない現代がそこにある。あと、「郷愁」であるが、これは毎週東京から宝塚へ観劇に来ているという隣の2人組もいるように、日本国内などどこへでも飛行機ですぐ移動できる現代においてどうもぴんと来ない。GWでもお盆でも民族大移動の時代である。ここのところも「かえりてえな、江戸に」といわれても4回観てあまり心情が理解できなかった。60点。後は人別に。

 轟悠。大犯罪をして唐人屋敷にかくまわれているものの、「囲い」を出ることは死を意味していることはわかってはいるものの、おしまに出会ったことから江戸への郷愁が一気に募り、新しく人生をやり直すことに一筋の光明を見出すのだが、おしまに置き去りにされてしまったことが拍車となって、最後は囲いを出て殺されてしまう、行き場のない男。轟は所作についてはばっちりだし、台詞の重みなども抜群で、伊左次の焦り・虚しさ、それからくる子分たちや李花に対する八つ当たりもある怒り、など良くわかる安定した出来だった。読売新聞夕刊にもあったが、もう少し凶悪人らしい、荒々しさ、すさんだところ、などがあれば完璧だと思うのだが。

 湖月わたる。一言で言えば「人情」の人だ。おしまへの愛情を告げながらも、彼女のとるべき道を諭すところ、伊左次に長崎にいる真意を告げるところ、どちらもよかった。今までいろいろ湖月の役はみてきたが、轟ともがっぷり四つに組んで、彼女のベスト1の芝居を観たと思う。好演だ。なにも書くこともない。

 檀れい。大商人に囲われているものの、唐人屋敷で伊左次に会ったことで、江戸への郷愁が断ち切れなくなり、新しく人生をやり直そうと考えるが、卯之助に自分のとるべき道を教えられ、旦那のところに戻る女。他人に「蓮っ葉」「あばずれ」といわれるように、行動の奔放さと、伊左次に「江戸に帰ろう」というところは素直な気持ちが対比で表れていて、有終の美だった。特に「堪忍して・・・伊左次さん」といいつつ手を合わせるところからは、初めて舞台上で檀の涙を見たように思う。

 安蘭けい。まあ、2番手でなければ歌も恋人もでてこないだろうな、というところ。「囲いを出たらこうなる」という見本の役。母親が恋しくて囲いからおびき出されるわけだが、「母恋し」ではあまりにも単純に思えるのは金子だけか。いっそ水牛の役を若く設定して唐人側にしたらまだよかろうに、と思うのだが。

 万里柚美。伊左次にかいがいしく尽くすが、彼の境遇を一番良くわかっていて、最後は逃がしてしまう。副組長、印象に残る出来だった。

 立樹遥。始めと終わりだけなので難しいだろうな、と思うが、説明台詞や卯之助をダニのように扱う高慢ぶりはよく出ていた。

 真飛聖・涼紫央・柚希礼音の三人はほとんど一緒に出てきて一くくりのようで、違いといっても大健闘の方言だけだが、もう少し個性が表れるように配置してもらわないとどうしようもないな、と思った。特に真飛は『花舞う長安』から印象的な役がないように思うので、若手男役が豊富な花組に移動したらどうなるのだろう、といらぬ心配をしてしまう。
 最後に、筋に関係はないが、踊りで花を添えられた松本悠里先生の踊りは流石。

 以上、4回目には「寝ようか」とすら思った芝居であった。次回の日本物は江戸末期のは勘弁してください。

ショー
「ソウル・オブ・シバ!!」
−夢のシューズを履いた舞神−
作・演出/藤井大介

<解説>
 この世に舞を生み出したとされるシバ。そのシバが現代に蘇ったとしたら・・・・。天地創造の神ブラフマーは、シバを地上に遣わす。舞台はニューヨーク。ひたすら踊りつづける名もない一人の青年に、シバの魂が吹き込まれる。その崇高なダンス精神は、世界の人に夢と興奮と熱狂を与えていく。タップやブルースなどニューヨークの香りと、豪華なレビューシーンで構成した、エキサイティングなダンシングショー。(ちらしより)

<感想>
「ショーでの轟悠の使い方の見本」

 藤井先生のショーはどちらかというとバラエティーショーの要素が強くて、昨年末の『タカラヅカ・ドリーム・キングダム』のパート1のような耽美的な場面が少ないのが特徴だと思う。一言で言えば押せ押せムードのショー、というか。だから、外れるときは外れるし、手拍子で疲れてしまい印象が均一、という場合が多い。

 さて、今回は上演時間がいつもより5分短いのであるが、ほとんどストーリーが覆っていて、上手く出来ていると思う。特にいいと思ったのは、上に書いたように、轟悠の使い方だ。専科になってからの彼女の使い方は、諸先生方には苦心のあとが見えるが、これという決定的な答えは出ていないように思える。今回はストーリーの外郭に置くことによって−ポスターが示すように「背後霊」のようにというほうが具体的か−内側のストーリーで組のみんなが動くようになっていてよかったと思う。

 また、芝居でどっぷり日本に浸かっている観客に、ショーはニューヨークという舞台設定はいい気分転換で、洗練された軽やかな場面が続くのは宝塚を観た気分になる。赤と金を主体にした装置・衣装もきらびやかで宝塚らしい。一方、タキシードのダンスナンバーやデュエットダンスなどはシックで藤井先生もそろそろ緩急を使われるようになられたな、と思う。あと5分長かったら、いやその前に全国ツアーではどうなるのか期待したくなるショーだ。90点。

第2〜4場 ソウル・オブ・シバ
 赤を基調としたプロローグで、星組全員が日本物から開放されてパワーを出しているようにすら思える。全編において、湖月わたるの地に足が着いたところからジャンプするようなダイナミックなダンスが見所だ。現在の星組は群舞にまとまりが感じられ、組の団結力を感じる組だ。上級生から下級生まで風通しがいいのではなかろうか。

第6・7場 憧憬
 ストンプとタップダンスを使った街の場面である。音を出すメンバーが若くて生き生きやっているのと、タップメンバーが楽しそうにタップを踏んでいるのがいい。タップに関してはやはり『雨に唄えば』で苦労した安蘭けいに一日の長がありか。軽く踏んでいるように見える。ただし、ご年配の方にはうるさすぎる場面になるそうなので音響の調節を。

第8場 恋1
 湖月&白羽ゆり新コンビのお披露目前段階、というところであろう。白羽はいま本当に乗っていて、華を感じずにはいられない。こういうタイプの娘役は、劇団側が早く抜擢してしまって早期に成熟せずに退団、という例がいくつもあっただけに、ここまで彼女の成長を待った劇団に感謝。大型のいいコンビになるのではないだろうか。

第10・11場 進展
 一番の見所がこのタキシードのダンスである。ANJU先生の振り付けも思い切りキザだが、「一番リーゼントにリキが入っている組」とあるスターが言った星組の面々も思い切りクサくセクシー踊っていて、流石芝居で「ドッコイ正統の宝塚魂」が残っていると植田先生に思わせた星組である。レークのバイト先で、という設定も上手い。千秋楽なら、舞台上の客役の人と一緒に「キャーキャー」言ってみたい。

第12〜15場 美
 中詰めである。ここに5分短縮のしわ寄せが来てしまった。いくらなんでも普通のショーなら2番手が中詰めに出ない、なんてことはないだろう。紫でわりとシックな中詰め。星組は大人っぽい雰囲気の人が多いので『ロマンチカ宝塚04』につづきシックなほうが似合うのかも。

第16場 嫉妬
 安蘭の歌の聴き所だが、なぜオーキッドが嫉妬するのか今ひとつ因果関係がはっきりしない。これも短縮のしわ寄せか。いきなり嫉妬してしまうようにみえるのだが。

第19〜20場 舞神
 レークがシバによって助けられて舞神へ、の場面である。ここは群舞もいいがコーラスのメンバーが歌詞を丁寧に歌っているところに下級生の底力を感じる。

第21場 伝承
 「ブロードウェイ」と入った曲のメドレーである。衣装は前場と変らないので少し違和感があるが、それなら安蘭に最後に『雨に唄えば』にでてきた「♪ブロードウェイ・メロディ」を快調に歌ってもらったほうがいいかと。

第22場 夢
 いろいろデュエットダンスをみせてもらって来たが、選曲といい、設定といい、衣装といい、振り付けといい、シックだけれどとても印象に残る。曲は『カサブランカ』で有名な「♪As Time Goes By」で、J−POPを盛んに使っておられた藤井先生の作品としては、ちょっと意表を突かれた感じだが、ショーにおいてはいわゆるスタンダードミュージックをふんだんに使うことは上の世代の方へ受け入れられやすいので、どんどん使って欲しい。すその広いドレスをうまく使って踊る檀れいの舞台からは、見た目だけではない心の美しさも感じられた。

 全体的にスターの配置をよく考えられた上での構成で、50分でも十分楽しめるショーになった。次は全国ツアーの放送を待とう。


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