Re: 雪組バウホール「さすらいの果てに」音月桂主演

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329. Re: 雪組バウホール「さすらいの果てに」音月桂主演

ユーザ名: 金子
日時: 2005/5/8(10:48)

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 こんにちは。「大劇場より、このバウのほうが面白い、と聞いて」という人がいました。そのとおりだと思います。「マラケシュ〜」1回でやめて、このバウ、壮さんのほう、千秋楽のチケットも余っていたからもう一度行っとけばよかったと、千秋楽の今日、思っているところです。

バウ・ロマン
「さすらいの果てに」
雪組 バウホール公演
5月7日→と列20番
作・演出/中村暁

<解説>
 19世紀末のイギリス、北アフリカを舞台にして、イギリス人青年将校が、無実の罪を着せられた父の汚名を晴らすために行動していく中で、幼なじみの娘との愛や、戦場で命を懸けて共に戦った大尉との友情の尊さに目覚め、成長していく姿を描いたストーリー。
 1880年代。イギリス軍少尉ジェフリーは、実家のブライトン邸での舞踏会に出席する。しかし、その夜、ジェフリーの父ルイスが市の公金横領の罪で告発されてしまう。
 ルイスは、これは何かの間違いであり、しかるべく申し開きをすれば、告発などすぐに取り消されると話し、ジェフリーを連隊に戻す。
 ところが、ルイスは取調べがつづく中、心労のために亡くなってしまう。エレノアからの手紙で、父ルイスの死を知るジェフリー。父が告発されたことに対し、自分が何の行動もしないまま、父を死なせたことを悔やむジェフリーは、父の汚名を晴らすことを誓う。父を罪に陥れた事件の鍵を握るのは、クレイトン大尉という人物であることを知ったとき、ジェフリーは北アフリカの戦場に送られる。
 北アフリカの戦場で戦ううち、エドウィン大尉と知り合い、互いに友情を感じるようになる。そんなとき、参謀本部から連絡将校が現れる。彼こそ、ジェフリーが追い求めていたクレイトン大尉であった・・・・。(ちらしより)

<メインキャスト> (プログラムより抜粋)
ジェフリー少尉(イギリス陸軍少尉):音月桂
エレノア(ジェフリーの幼馴染み):晴華みどり
ルイス・ブライトン(ジェフリーの父親)/フレミング医師(エドウィンの父親):汝鳥伶
クレイトン大尉(イギリス陸軍参謀本部の将校):宙輝れいか
エドウィン中尉(ジェフリーの上官):沙央くらま

<感想>
「如何に『宝塚らしく』出来るか」

 この作品のテーマなどについては、壮一帆主演のとき(以下、プログラムより「前期」)に書いたのでもう書かない。しかし、この作品は「宝塚らしく」が、出演者全員に課せられている課題であり、現在の宝塚への提起でもあるということを強く感じる。

 「最近の宝塚スターは小顔化が進み、没個性」とよく新聞などに書かれているが、その原因はこういうことだと思う。

 それは「生徒の技術力のレベルアップ」によるところだろう。世間一般ご存知のとおり、音楽学校の入試倍率はすさまじく、また、ミュージカル出演者になろうとするならば、宝塚だけではない時代において、いろいろレッスンを積む方法があるから、入試前に全員のレベルが高いのである。その中の合格者がジェンヌになれるのだから、相当レベルの高い集団が出来上がっている。そうなると、いざ劇団に入って役がつこうものなら、持てる技術でなんとかしようとする生徒が多い、というのが現状だ。かつては、その後一時代を担ったトップスターが、受験時、来年受験に来るのか、と試験官に聞かれて、「もうきません」というので劇団側としてレベルは低いが入学させてしまったという逸話さえ残っているように、レベルが低くても「容姿端麗」で入学できてしまった、というケースがある。戦前なんてもっと「容姿重視」だっただろう。とにかく下級生でもレベルがすごく高いので、言葉は悪いが小手先勝負で大胆さにかけるのが現状であろう。だから「没個性」なのだろう。

 それに輪をかけてしまったのが、某元トップスターが唱えだした「ナチュラル」路線だ。つまり、クサイ、きざな男役より、より普通の男性のように、ということだろう。これが今もどこかに残っていて、きざるのが出来ない下級生が多いらしい。(現在の上級生がよく対談などで言っているのだが)これにより、「宝塚らしさ」が失われつつあるのがまた現状である。

 そういう中でこの作品は、「虚構の上に立つ男役はより格好よく、娘役は女以上の女らしさを」という「宝塚らしさ」への「原点回帰」がもうひとつの作品のテーマだといってもいいかもしれない。だから、演技指導に渡辺奈津子先生(元星組トップスター:紫苑ゆう)のお出ましなのだ。案外、この「宝塚らしくあるべき」「形から入る芝居」は今の生徒にとっては難しいことだと思う。

 2回観て思ったことはもう1つ。オリジナルの曲だけで構成されているが、主題歌は特に何度も歌われることもあるが、どの曲もメロディが明晰で覚えやすく、帰りに口ずさめそうなところは、これまた80年代らしくてよかった。これも生徒のレベルアップによるところだが、主題歌などもかなり覚えにくく、難曲が多いのが現状である。毎公演1曲ぐらいはすっと覚えられる曲が欲しいところだ。

後は人別に。専科の汝鳥伶さんは前期で書いたので省かせていただく。

 音月桂。上のようなことを前期で感じたときに、「わー、これは彼女にとって難関だな」と思った。下級生のころから、器用に役をこなす印象があり、本公演では娘役、新人公演では主役(『青い鳥を捜して』)までするようになった彼女の現在の印象は「小器用な役者」になりつつある。テクニック・技術が高い人なので、このままでいってしまうとどうだろう、という老婆心すらある。そこでこの役である。「なにもしないで立っているだけで2枚目に見えろ!」といわれているようなものである。小手先の勝負は出来ない。一幕は少し動きすぎの感がしたが、二幕の中盤、敵をあと少しで殺せるものの、それが出来ず、自分の気持ちの整理をしながら、最後に敵が自白し死ぬ、というくだりでは、動きが制限されている中で涙を流しつつの熱演であった。これを観ていて、彼女は今回の公演でなにか殻を破れたのではないか、と確信させられた。歌は歌詞が同じでも場面に合わせた感情ののせかたで、これは丁寧でよかったと思う。新人公演を卒業したこれからが勝負のときにこの役に出会えてよかったのではないか。

 晴華みどり。歌える人だとは思っていたが、デュエットでもきれいな声が通ってきて、一度エトワールでも、と思えた。役作りに関しては、ジェフリーの戦士広告のところは表情を崩すだけでなく、心痛を表して欲しいところだ。あとは十分及第点だった。雪組娘役は下級生の戦力が豊富なので、何人か他の組に回してもいいか、とも思う。(特に月組へ)

 宙輝れいか。最初からもう少し腹に一物あるような工夫がいると思う。また、不敵さも。出番が飛ぶので難しいと思うが、最後の自白のシーンは納得ができた。

 沙央くらま。CS放送でおなじみの彼女だが、稽古場の風景を見ていてまあ舞台ではどうなのか、という感じだったが、輪郭から役をつかむことで、この一見すかしているけれど、責任感のある骨太な人物は表現できていたと思う。もう少し内面をつめればよくなると思うが、今回の「形から入る」という課題はこなせていたと思う。しかし、歌はまだまだだし、男役をやるならスタイルをもう少しスリムなほうが(人のことは言えないが)と思う。

 いろいろ書いてきたが、隣の大劇場『マラケシュ・紅の墓標』と同じアフリカを取り扱いながら、「わけがわからん」といわれる大劇場とは対照的な作品で、金子の個人的な意見としては、この『さすらいの果てに』のほうが、宝塚らしくて大劇場向きではないか、と気に入った作品であった。


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