花組大劇場「マラケシュ・紅の墓標」「エンター・ザ・レビュー」

[掲示板: ミュージカル一般 -- 時刻: 2024/10/7(12:29)]

TOP HELP    :    :

オリジナルメッセージの書き込みオリジナルメッセージの書き込み // メッセージの検索メッセージの検索 // ヘルプヘルプ

上へ上へ | 前へ前へ | 次へ次へ | リプライを全て表示リプライを全て表示 | リプライメッセージを書き込むリプライメッセージを書き込む | 訂正する訂正する | 削除する削除する

321. 花組大劇場「マラケシュ・紅の墓標」「エンター・ザ・レビュー」

ユーザ名: 金子
日時: 2005/4/18(15:13)

------------------------------

 こんにちは。長いのは当たり前のわたしですが、これだけ説明を要する作品もしんどい。新作で客足が衰えると「ベルばら」で乗り切ろうとする宝塚ってなんなんでしょう。

花組 宝塚大劇場
4月14日→1階16列51(ビデオ収録日)
4月17日→1階14列45

ミュージカル
「マラケシュ・紅の墓標」
作・演出:荻田浩一

<解説>
 1920年代のモロッコ独立運動、そして、第一次世界大戦後の世情を背景に、モロッコ内陸部の都市・マラケシュを舞台に展開するエキゾチシズム溢れる大人の恋物語。
 サハラ砂漠へ測量に出掛けた夫の後を追っていたオリガは、測量基地のある砂漠の玄関口・マラケシュで、言葉が通じず立ち往生していた。そんな彼女を見かね一人の紳士リュドヴィークが助けを買って出た。
 オリガは夫の測量隊が行方不明になっていると知り動揺するが、それを慰め励ますリュドヴィークの柔らかな物腰に惹かれるようになる。そして、リュドヴィークも美しく気高いオリガに魅せられるようになっていた。二人はたとえオリガの夫が生きて戻ったとしても、全てを捨て、もう一度新しい人生を考え始めていたが・・・・。(ちらしより)

<メインキャスト>
リュドヴィーク・アドラー(マラケシュにあるホテル・クーペに滞在している男):春野寿美礼
オリガ・オブライエン(行方不明の夫を探してマラケシュに来たロシア人女性):ふづき美世
レオン(リュドヴィークの仕事仲間。ベルベル人の母と白人の父を持つ):樹里咲穂
ソニア(イヴェットの付き人):矢代鴻
クリフォード・オブライエン(オリガの夫。大英帝国の測量技師):彩吹真央
ギュンター(イヴェットを執拗に付回す美術品コレクター。ドイツ人):蘭寿とむ
イヴェット・ダンボワーズ(元レビューの花形スター。リュドヴィークのかつての恋人):遠野あすか

<感想>
「荻田ワールドはファンタジーとは思えないなあ」

 1回目(14日)、緞帳が下りたあと、「ああ、長かったなー2時間観ていたか?」と思っていたら、隣の団体エリアからこんな会話が聞こえた。
 オジサン「なんだかわけがわからん」 オバサン「宝塚ってこんな暗いの?」
それを聞いて「そりゃ、荻田作品だからね。『螺旋のオルフェ(99年)』よりは分かるよ。でも荻田ワールドはね・・・」と頭の中で思っていたら、「あれ」と思うことがあったので、トイレにも行かずに急いでプログラムの「演出家に聞く」のところを読み直した。

 そこにはこうあるのである。引用する。
「さて。宝塚のお芝居は(特に大劇場でご覧頂く作品は)、ある種のおとぎ話なのだと思います。

 リアルな演技者と言うよりも、より虚構の魅力に重きを置く男役・女役という異形の役者たち。在り得ない舞台設定・ドラマ展開、キャラクターたち。すべてが、宝塚という特殊な表現の場で、如何に煌びやかで麗しい夢の続きを現実のものとして形にするかに腐心した結果なのです。宝塚歌劇の作品群は、こと夢夢しさという一点において、他の追随を許さないと自負しております。
 つまりファンタジー。
甘く切なく、不可思議な因果律に満ちた、センチメンタルな寓話。
それが宝塚の魅力の、確かな一角を占めているのだと思います。

 今回もまた、そんなファンタジーの変種であろうと心掛けた作品であります。」
「ファンタジー」この作品が?正直そうは思わない。なぜなら、上に書かれているような「在り得ない舞台設定」とは思わないし、「ドラマ展開」はむしろありがちで最後、主人公がどうなったか含みを持たせてあるところがあえていえばファンタジーか(まるでロイド=ウエバー版の『オペラ座の怪人』みたいだ)。キャラクターも主人公はまあいないといえばそうかもしれないが、あとの人物はレオン・イヴェットなどリアルに感じる。それに根本的にこの芝居のテーマは「大人になると誰もが持つ『過去』の消化(昇華もあるが)の仕方」だろう。夢夢しい、とは思えない。現実的だ。

 そこで、大小2つの辞書で「ファンタジー」を引いてみた。するとどちらにも「空想、幻想」とあった。たしかに、ドラマというのはフィクションで空想の世界だが、この作品は幻想か、と聞かれたら誰も「幻想とは思えない」というと思う。一般的にファンタジーといわれたら「在り得ないキャラクター(特に人間以外を含む)が繰り広げる、奇想天外なドラマ展開、最後は大体ハッピーエンド」というのが一般的な概念ではないだろうか。
 ではもうひとつ、いわゆる「宝塚ロマン」でくくられる「よく考えたらそんなことまずないだろう」という路線は、ちょうど隣のバウホールの『さすらいの果てに』がその王道をいっているので例に取るが、「自分の意思の命ずるまままっすぐに人生を歩む爽やかな二枚目、彼に恋して結婚もしていないのに彼の戦死報告が来ても待ち続ける純粋可憐な令嬢、この二人が最後に結ばれてハッピーエンド」というところだ。これも空想、ましてや幻想ではない。5%くらいは現実に起こりえる話もある。顕著な例が名作『霧深きエルベのほとり』は当時の新聞の三面記事から起草された、という過去の例がある。
 これら2つを考えてみると、やはり「荻田ワールドと宝塚ロマン、ましてやファンタジーとは大分距離があるな」と感じずにはいられない。ショーはまた別の話とする。

 あと、一番肝心な主役とヒロインがお互いの思いを確かめ合い愛しあう場面であるが、どちらも感情を表に出さないで言葉の端々をいう感じなので、深読みをしないといけないし、オペラグラス必携、なので2階まである大劇場にはどうか、と思う。はっきり言ったほうが分かりやすいと思う。それと、予算の関係もあるのだろうが主役で衣装4着はないだろう。かつてあるOGトップスターが「宝塚は理由もなく1日何回も着替えをする」といっていたが、今回は2日間の話だから少ないのだろうが、衣装変えもファンの楽しみの1つなのだから、4着は勘弁して欲しい。65点。あとは人別に。

 春野寿美礼。他人の罪を背負って最果ての地まで落ちてきて、紳士面をしながら、食べるために詐欺師をして生きている男。しかし、オリガにすぐ自分は詐欺師であることを告白してしまうし、イヴェットはまたかばうし、基本的には2枚目だ。春野は過去のつらさを口になかなか出さない、なにか重いものを背負ったところは上手く出していたと思うが、ずっと2の線が続いているので、残念だがあまり新しい発見はない。ドラマシティ『不滅の棘』で見せたような強烈な個性が見られる役がそろそろ見たいのだが。

 ふづき美世。初恋に破れ、伯母の言うとおりに結婚したものの、自分はなんなのか確信がもてないまま、夫を探しにマラケシュにやってきた貴婦人。こちらは自分探しの状態でふと知り合ったリュドヴィークと同じような過去の傷を分かち合うことで新しい人生を選び取ろうとするものの、リュドヴィークは消えてしまい、生還した夫と生きる価値を見出す。あまり言葉に出さない分難しいと思うが、ふづきは彼女のやった役の中ではベスト5に入る役作りをしたと思う。問題は歌詞がそのまま台詞になっているところの歌だろう。

 樹里咲穂。小悪党のペテン師だが、いまの状態に満足しきれず、パリにいって一旗上げてやる、と野心を抱くものの・・・。歌ナンバーが多いが、それもらくらくこなしていて、簡単な計画で最後に仲間から殺されてしまう小悪党の悲哀、というものはばっちりだった。思いついたところ口からぱっと言ってしまうところ、母親がうるさいようなうれしいようなところ、白人にも黒人にも属せないよるべのなさ、最後にして完璧の仕事だった。これで退団とは実に惜しいところである。もっと他の組にも出て戦力として劇団にいて欲しい・・・というのはファンのわがままか。

 矢代鴻さん。まあ、あれだけいわれてもよくイヴェットについてくるものだ、と思っていたら、名乗らないイヴェットの母なのである。どうして名乗らないのか書かれているともっといいと思うのだが、いつでも娘をかばおうとするところ、そして苦労させられる子を持つ母親には一段と説得力のある、あの最後の台詞は実に素晴らしかった。

 彩吹真央。貴族で心の広い夫。これぞ宝塚、理想の男性、という役である。出番が少ない分か、芝居で初めての銀橋ソロもあるが、最初と最後しか印象に残らない。この路線としては、バウで『二都物語』のチャールズ・ダーネイもきちんとこなせたこの人にとっては楽なものか。博多座では役が変わると思うのでそちらのほうも観てみたい。

 蘭寿とむ。執拗に金の薔薇を追い求め、最後には狂気に至り殺人まで犯してしまう。何ゆえ殺してしまおうと思ったのか、その説明がないので今ひとつ人物像が明らかではないが、全体的に不気味な感じは出ていたと思う。

 遠野あすか。不祥事が元で落ちぶれたものの、気位が高い元花形スター。観ていて「ああ、上手くこなしているな。早く主演娘役に」と思わせる出来だった。まあ、遠野のこれまでの実績を考えるとこれぐらい出来るようになっているのだろうが。パリでの華やかな場面があるし、イヴェットをヒロインにしたほうが面白かったのでは、と思った。博多座で彼女が抜けるのは痛いのでは、と思わせる好演だった。

 あと、全編に渡って登場人物たちの運命を予告するように踊る、蛇役の鈴懸三由岐のスキのないダンスが素晴らしかった。

 全体的に役も多く、みんながリアルに創っているので、余計「ファンタジー」ではなくなってしまったような結果がなんとも皮肉だ。

グランド・レビュー
「エンター・ザ・レビュー」
作・演出:酒井澄夫

<解説>
 レビューの原点であるパリ・レビューを顧みて、そのエスプリを生かしながらも、現代の感覚に合わせて、テンポあるお洒落な宝塚レビューを展開する。
 シャンソン・ジャズ、クラシックなどをアレンジして構成し、21世紀版「モン・パリ」を目指したレビュー。第91期生初舞台生のお披露目公演となる。(ちらしより)

<感想>
「『宝塚レビュー』を構成する要素のコラージュ」

 プログラムに酒井先生が書かれているように、宝塚のショーは77年間、いろいろな要素を取り入れて統一され、洗練されて現在に至っている。現在のショーは大体4つに分けられるのではないだろうか。

 「パリ・レビュー」。いわゆるシャンソンショーである。これから始まったといって過言ではない宝塚のショーだが、シャンソンが古くなったということもあるのか、毎年「パリ祭」というディナーショー形式のものが行われるからか、傑作『メモアール・ド・パリ』(86年)以来、全編シャンソンとパリ風というショーがさっぱりないのが現状か。

 「アメリカンショー」。いわゆるバラエティショーである。プロローグ・フィナーレ・中詰め、の間にブロック別の場面を作り、そのブロックのなかに少しストーリー的なものが入っている、といういまや宝塚では一番スタンダードなショー。

 「ストーリーのあるショー」。これも流行のスタイルである。全体または多くの場面を覆うストーリーがあって、その中で場面が繰り広げられ、フィナーレへ向かう。(今年の『レヴュー伝説』とか)あるいは、全体を覆うメタファーがあってその中で場面が繰り広げられる。(『ロマンチカ宝塚’04』とか)

 「宝塚レビュー」。わかりやすいのが、岡田先生の「ロマンチック・レビュー」シリーズである。これは上の3つを踏まえたうえで構築された、「宝塚ならでは」をふんだんに盛り込み、洗練させていった、宝塚が世界に誇るに値するショーの様式である。

 今回のショーは酒井先生なりに4つをコラージュさせた「宝塚レビュー」の提示である。シャンソンからジャズそしてスパニッシュ、大階段と宝塚レビューの要素が出てくる。だから古いファンにとって目新しさはないが、安心して観られるショーになっていた。85点。
ただ、『モン・パリ』77周年、ということを踏まえるなら、シャンソンショーに徹したほうがむしろ新しく観られるのではないか、というか久しぶりにシャンソンショーも観たいという希望もある。

第1場プロローグ〜第2場シャンソン・ド・パリ
 有名シャンソンを次々に歌いつぐ、シャンソンショー定番の始まりである。どのシャンソンも有名曲なので、知らない方には1曲ぐらい覚えてもらえるといいと思う。現在の花組メンバーは歌える人が多いので安心して聴いていられる。ただ、春野寿美礼のエトワールのドレスと髪型はもうちょっと考えていただきたい。

第3場ノスタルジー〜第4場ラ・ムール〜第5場Cirque(チルク)猛獣使い!
 「パリ幻想」とでもいうべきか、サーカスの場面である。ルイーズのふづきは11時公演と3時公演では人が違うのか、と思うぐらい声が違うので、とにかく歌唱力はアップさせてほしい。猛獣使いところの樹里&遠野はセクシー。この2人はある意味ゴールデンコンビのような気がする。

第6場ボワィヤージュ〜第7場ニューヨーク・シティ
 「♪パレードに雨を降らさないで」を歌いながら着替えるのは難しそうだが、観ている側は楽しい。やはり、このあとのふづきの歌が問題か・・・。「あんな、よく使われる曲」という方もおられたが、名曲はやはり安定感があるし、「よく使われる」と思えるほどなら、あなた、曲の知識も豊富になっているのですよ。宝塚によって。

第8場ミッドナイト・シティ
 アフロからジャズへの場面である。アフロの場面は舞城のどかがパンチ力のある踊りで春野をリードしているといっていいぐらいの印象を与える。後半のジャズ・中詰めもおなじみ「♪スイングしなけりゃ意味がない」で、ここでは樹里のほうがジャズでは一日の長の歌を聴かせる。

第9場ジプシーのかがり火〜第10場我が心のアランフェス
 前半の彩吹真央のソロは歌詞が分からないところが1つもない、というところがこの人の歌唱力の高さを証明する。後半はまたおなじみの名曲に乗せて春野&樹里のがっぷり組んだダンスと歌が見所だ。

第11場〜第14場フィナーレ 
 主演男役が大階段で女役陣に囲まれて歌い、そのあと男役の総踊り、そしてデュエットダンス、パレードへと「これぞ宝塚のフィナーレ」で終わる。

 全編を通して、「宝塚のショーとはこういうものだよ」という感じで、こちらはGWもあり、観光シーズンだから、初心者には楽しんでもらえるショーだと思う。


▼リプライ


Maintenance: MORISADA Masahiro
KINOBOARDS/1.0 R7.3: Copyright © 1995-2000 NAKAMURA, Hiroshi.