千秋楽・劇団四季「エビータ」

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310. 千秋楽・劇団四季「エビータ」

ユーザ名: yasuko
日時: 2005/3/13(22:44)

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「エビータ」千秋楽を観にいってきました。幕間にロビーに出たら雪が降っていて驚きました。どうりで1幕の間、寒いなぁーと思いながら観てた訳だ。

今日は観にいって本当によかったです。もちろん千秋楽だから盛り上がったからでも有りますが。
正直1回目は楽曲のすばらしさだけで満足してしまい、それ以外は、野村さんのエバと比較してしまい、やっぱり彼女にはかなわない、彼女だったらと、ずっと井上エバには不満だらけで、後半は退屈だったかもしれない。

今日は、「ブエノスアイレス」は相変わらず不満だった。もっとこの歌をパワフルに完璧に唄える女優は四季にはいないのか?と思ってしまった。
ところが、1幕最後の選挙活動をするシーンがあまりに迫力あり、まるで何かが乗り移ったかのような井上エバを観て、加速度的に終盤へ向けて、どんどん面白さが増して楽しく観れてしまった。あんなにつまらないと前回観じた後半がこんなに重みが有ったとは気がつかなかった。

おそらくペロン大佐は気が優しく穏やかで、人の上に立つような大統領の器の男手はなかったのだろう。弱気な男を優しくときふせて、そして民衆を自分の魅力で扇動して、もう後戻りできなくしてしまう。
そして、エバ基金のシーンも度迫力ですね。もう何かにとりつかれているかのごとく、彼女を止められない。彼女の絶頂期です。
このころまでは、彼女の原動力は確かに有名になって、上流階級を見返してやるという野心だけだったのかもしれない。

しかし、最後の悲しく寂しい最期を観ると、エバは確かに最初は野心だけで突き進んでいたかもしれないが、最期は、”ペロンとは一心同体”、”民衆に自分は愛されている。民衆は私を必要としている。”、そして、野心だけではなく、多少は”自分の力で民衆を助けたい。”とさえ思っていたように感じた。
この時代のアルゼンチンで、誰も信じてはいけなかったのです。最期までエバは自分だけのために、生きるべきだったのです。

「ブエノスアイレス」で、”女優になるための、いや、生き残るための挑戦の日々。残念ながら、男から男へと。彼らを踏み台に、人生の階段を上りつつあった。」とチェのせりふが入るけど、実はエバはペロンにこそ一番利用され、民衆に躍らされ、利用されて、むしろアルゼンチンという国民、国自体に踏み台にされたのは、彼女だったような気がする。

井上エバは激しい歌は得意なんだ。でもなぜか彼女がバラードを唄い始めるとやたら眠くなった。軽快で早口な”ブエノスアイレス”ではせりふが聞き取りにくく、パンチがない。
そして、初めてエバとペロンが会った時の、「おひとりですか?」「ええ、そう”ひとり”」の”ひとり”の言い方が甘い。この時点で既に彼女はブエノスアイレスへ出てこようとした時点の目標は十分達成していたのかもしれない。でも、彼を人目観て、”いくとこまで上り詰めてやる。絶対このチャンスを逃してなるものか”っていう、心の中では激しく野心に燃えているけど、それをちっとも出さずに一世一代の演技を、この”ひとり”で表現できなきゃいけないんだと思います。やっぱ野村さんのエバが観たい。

そして、最後に芝さんのチェはすごい。彼のレミゼのテナルディエかジャベールが観てみたーいと思ったのは私だけだろうか。

それにしても、「エビータ」は確かにロイド・ウェバーの最高傑作だ。


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