星組大劇場 「花舞う長安」「ロマンチカ宝塚’04」

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262. 星組大劇場 「花舞う長安」「ロマンチカ宝塚’04」

ユーザ名: 金子
日時: 2004/10/15(14:32)

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 こんにちは。今回はコラムつきです。これから行かれる方は、芝居は衣装と頭の飾りで適当に観て、ショーは安蘭けい出まくりを許せるかどうかですね。それではよろしく。

「花舞う長安」
「ロマンチカ宝塚´04」

星組 宝塚大劇場
10月7日 1階13列61→河村隆一氏観劇
10月14日 1階13列63
11月2日 1階2列28

歌劇
「花舞う長安」−玄宗と楊貴妃−
井上靖「楊貴妃伝」より
脚本・演出/酒井澄夫

<解説>
 井上靖著「楊貴妃伝」をもとに、白楽天の長恨歌に「比翼連理の誓い」と表されている中国の皇帝・玄宗と天下の美女・楊貴妃の愛を謳い上げる。
 中国唐王朝の第6代皇帝・玄宗は、英知に富み、決断力に優れ、多芸多能な皇帝であった。即位後、圧制を正し、盛唐の時代、「開元の治」と称される優れた治世を作り出した。その玄宗の前に一人の女性が現れる。都までその美貌がとどろいていた玉環である。寵愛していた妃を亡くし失意の底にある玄宗を慰めるため、皇帝を思う側近の一人の計らいで呼ばれた玉環は、楊貴妃と呼ばれるようになる。楊貴妃の愛に溺れた玄宗は、皇帝としての執務をおろそかにするようになり、次第に人心は玄宗から離れ、世は安禄山の乱へと向かって行く・・・・。(ちらしより)

<メインキャスト>
玄宗(唐の第六代皇帝):湖月わたる
楊貴妃<玉環>(玄宗の妃):檀れい
安禄山(将軍):安蘭けい
高力士(玄宗の側近の宦官):星原美沙緒
陳玄礼(唐の将軍):汐美真帆
楊国忠<楊鉦>(後に、唐の宰相):立樹遥
皇甫惟明(唐の武将):真飛聖
梅妃(妃):陽月華

<感想>
「やはり芝居はドラマチックでないとねえ」
 
 初めに点数からいうが50点。なんかたらたらしていて、頭の被り物と飾りに目が行ってしまう・・・、これで感想を終わらせたい気分だ。

 確かに題材が題材だけに「わかっている話」である。しかし、テーマはなにか、ということを考えると、定説の「傾国の美女と彼女に入れあげた皇帝が国をつぶしてしまう滅亡への道」ということでは少なくとも宝塚ではなさそうだ。「美女と彼女を愛した男が皇帝だったゆえに死別するしかなかった哀れな話」というところであろう。もう少し言うなら、2人の愛が純粋で激しく深いものだったから悲劇が大きくなった、というか。それにはもう少しドラマに起承転結をつける必要があるのではないだろうか。

 酒井先生はプログラムに「舞踊詩を作ろうと」「劇的な事件が少なく」とかかれ、フィクションもいれられているようだが、こうなったらもっとフィクションがあってもいいのではないか、と思った。例えば、玄宗の楊貴妃と出会う前の政治を精力的にこなしている場面とか、安禄山と皇甫惟明の実際の辺境での働きや、安禄山の反乱の下準備とかそういう場面を増やせばもう少し面白くなるのではないか、と2回目はそんなことを思いながら観ていた。楊貴妃の3人の義理の姉の歌など別にいらないと思うのだが。そして、緞帳が下りたあとに、玄宗の悲しみが伝わる哀切感みたいなものが客席にただよえばいいのにと思った。

 河村隆一氏の音楽は、それといわれなければ宝塚の先生の音楽と思うほど、場面にも宝塚的にもマッチしていた。いい曲だと思う。後は人別に。

 湖月わたる。「皇帝と普通の男のようにただ1人の女性を愛することの両立が出来なかった哀れな男」というキャラクター設定であろう。正直、あまり魅力的でない設定だ。それは、皇帝の国の最高の地位と楊貴妃を愛する男の2面しか見せられないからだと思う。少なくとも最後、楊貴妃を失ってからの悲しみの場面が台本にあればもう少しいいと思うが、今のままではこれで精一杯であろう。皇帝の豪快さは彼女ならではの味だし、楊貴妃との関係も陛下ならではの落ち着いた対応で納得できた。まあ、台本に書かれている以上のことは表現できていると思う。お披露目のラダメス、ドラマシティのジェラールと昨年はいい役がきていたのに、今年に入ってからは役に恵まれていない感じがする。来年は日本物でさてどうか。

 檀れい。天下の楊貴妃である。今回の楊貴妃は甘えてみたり、他の女に嫉妬してみたり、自分の権力に満足してみたり、究極は陛下の愛があればいい、という「女そのもの」の女性だな、と思った。そこのところは、きちんと表現できていたのはよかった。また、最後に自分から死におもむくところは、マリー・アントワネットなどと違って、自分の置かれている位置というものをきちんと理解できている女性でもある。ここのところも凛然としていてよかった。まあ、こんな美女がいればどの男もメロメロだろうな、という楊貴妃のイメージ+悪女でない女らしい人、が十分わかったのでよかったと思う。

 安蘭けい。いわゆる「黒い役」である。意外とノーブルな2枚目を不得意とする彼女にあった役だと思うが、銀橋でのソロぐらいあってもいいだろう。それと芝居だから仕方ないといわれればそれまでだが、いきなり反乱を起こす感じで「兵はどうやって集めたのだろう」とか素朴な疑問がわいてしまった。その前に少しあいていて、いきなり楊貴妃に迫る場面なので、もう少し筋を通した役にして欲しかった。2番手がやるのだからもう少し大きい役にして、辺境の威力を感じさせるような感じにして欲しかった。もうこれ以上言えば「金子は安蘭ファンだから」と思われるからかかないが、安蘭にしてはこの台本ではこれで一杯であろう。

 星原美沙緒さん。いわゆる陛下の「懐刀」である。「陛下、陛下」とくっついて、後宮のことはすべて握っている、そんな「影の権力者」像は良くわかった。こういう役は専科の方にやっていただくと間違いはない。さすが。

 汐美真帆。これでサヨナラ公演であるが、勢力地図をよく把握し、にらみを利かせる人物からは目を離さない、という玄宗に忠心を示す将軍を演じていた。「将軍」役の人は何人かいるので、その中で色を出すところは最後の仕上げとしては上々である。

 立樹遥。楊貴妃のおかげで一番出世した人だが、もう少し急に出世した「慢心」みたいなものを出せればいいと思う。彼がもう少し宰相としてしっかりしていれば、反乱はおこらなかったのだから。

 真飛聖。正直あれだけの出番では3番手にとってかわいそうかな、と思った。もう少し、辺境での働く様子とか本当に楊貴妃と牡丹園にいくところとか場面を作ってあげれば、とファンではなくとも思ってしまった。しかし、安禄山と言い合うところでは、安禄山と違う貴族の気品と傲慢さ(弓矢で制するべきだという)はでていた。

 陽月華。楊貴妃の最大のライバルであるが、誇り高いところ、妃としての仕草、声、などだいぶ娘役としての「しな」が作れるようになってきたと思う。

 といろいろ書いてきたが、主演コンビの2人はいいが、あとは出番がどうしても少ないのでやりにくいと思う。やはり、この題材を持ってきたのがいけなかったのかもしれない。

グランド・ショー
「ロマンチカ宝塚´04」 −ドルチェ・ヴィータ!−
作・演出/荻田浩一

<解説>
 1950〜60年代のイタリア等をイメージして、地中海の紺碧をベースに明るく開放的な色彩を散りばめて展開されるショー。宵闇のヴェネチアで男と女は惹かれあい、真昼の花市場では若者たちが戯れ、遊ぶ。都会の暗闇をさまよう男は夢魔の虜となり、幻想的な青の洞窟で、海神は恋を知る。生と死、光と闇が交差する束の間を賑々しく通り過ぎるパレードの饗宴が、人々を非日常の空間、夢の祝祭へと誘う。(ちらしより)

<感想>
「シックな“荻田ワールド”の洞窟へようこそ」

 荻田先生の前作『バビロン』に似ている、といわれればそうかもしれないが、正直『バビロン』より、ずっとこの感想は書きやすい。それは、ブロックが大きく分かれていることと、フィナーレを除いて、陽月華扮する「少女」と安蘭けい扮する「悪魔」が基本にいることを押さえておけばいいからだ。

 「少女」は現実世界の象徴である。一方「悪魔」は現実世界の人間を「甘い生活=ドルチェ・ヴィータ」へ誘う存在であると考える。そしてそのあとのメンバーはブロックごとに誘う側と誘われる側に分かれているとすれば、このショーの「ストーリー性」は見えてくるのではないだろうか。例えば、第2場の花市場のかわいらしい少女たちも、船乗りSを誘う悪魔の手先かもしれない、と考えれば『バビロン』のときのように頭をぐるぐる回さなくて済むのではないだろうか。

 で、先に「少女」と「悪魔」だけ総括して書くが、「少女」の陽月は特にダンスを含め任された位置というものをきちんと表現していて好感が持てた。一方「悪魔」の安蘭だが、あの瞳といい声といい実に魅力的な存在である。ショーのすべてを操っている感すらする。金子もその一員の安蘭けいファンとしては、あれだけ出て歌ってくれれば、『ファントム』まででたまりにたまった不満感もかなりすっきり、である。

 しかし、である。冷静に考えれば、こういう構成のショーにしてしまうと、少なくとも2つほどの弊害(?)が考えられる。まず、荻田先生のショーに出演していただけるとあの素敵な歌声を添えてくださる矢代鴻さんの歌が1曲もフルコーラスがない、ということである。これは安蘭が歌っている分の歌を足すとこうなってしまうのかな、と推測するが、折角専科から出てくださっているのだから安蘭の分を削ってでも矢代さんの歌が聴きたいと思う。また、他の先生の「だれだれの場面」の積み重ね方式と違うので、どの場面も「悪魔」と「少女」の登場が必要となり、「湖月わたるが中心で安蘭の影も形もない場面」というものがなくなってしまうことだ。これはファンにとってどうなのだろうか?金子は幸い安蘭側だから、「あートウコさん(安蘭)一杯出ている。荻田センセありがとー」だが、考え物だ。例えば、第4場の船の場面は別に「悪魔」は出なくてもいいかな・・・とも思った。

 でも、荻田先生のショーの中では一番いいと思うし、たまにはこういうシックな大人っぽいショーもあってもいいかな、と思う。90点。

第1場 プロローグ
 不思議な世界が始まる。ここでもう「誘う側」と「誘われる側」がはっきりする。ここでは檀れいが「こわく的に誘う美女」で湖月が「誘われる男」である。主題歌も長いのだが、歌詞をじっくり聴かせるためか何人かで歌い継いでおり、このショーのテーマが良くわかる。ここから「悪魔」の存在がはっきりしている。

第2場 花市場
 ここはプロローグから一転して明るい場面だ。「少女」はここからの登場となる。彼女を追い詰める矢代さんの存在感と、湖月に妖しく絡む百花沙里の正確なダンスが見ものだ。その前の、花市場の少女たちに扮する娘役さんたちもかわいい。

第3場 サテリコン
 檀がまた「こわく的に誘う美女」に扮して、湖月を妖しい世界へといざなうところだ。真飛聖は悪いがいまひとつ妖しい感じにはみえなかった。カウントをとりにくそうだったが。毬乃ゆいの歌声もこんなに歌える人とも知らなかったので発見だった。そのあと矢代さん、安蘭と歌はかなり豪華である。安蘭の地声から裏声へシフトする歌も聴きものである。この場面はまた不思議な感じで、「不思議」→「明るい」が交互するショーの仕組みであることがだんだんわかってくる。

第4場 船
 誰もが知る「♪フニクリ・フニクラ」を使っての中詰めである。といっても全員が出てそろって踊るわけではないので「盛り上がりに欠ける」という向きもおられるかもしれない。金子はこんな易しい曲をよく10分ぐらい持たせられたな、編曲がすごいな、と思ってみていた。こんなに明るく楽しくては、「悪魔」はなんの力も発揮できないしふざけているぐらいで仕方ないだろう。(だから「出なくてもいい」と上に書いたのだが)しのぶ紫のソプラノもきれいに伸びていたし、ラインダンスもかわいかった。

第5場 青の洞窟
 また不思議な世界である。ここで初めて湖月が海神に扮して「誘う側」にまわる。「誘われる側」は「少女」で陽月はダンスも表情もよかった。ただ、ここまでずっと「誘われる側」にいた湖月だが、彼女の太陽のようなキャラクターは「誘う側」にはいまひとつあっていないように感じた。ショーの全編通して「誘われる側」にしたほうがよかったのではないか。それとここから急に歌いまくる感じがするのだが。プロローグに引き続き、仙堂花歩の高音が心地よく響く。

第6場 フィナーレ
 始めはプロローグに帰る、という感じで、次に星組男役の顔見世という感じで、最後にスパニッシュで総踊り、となる。真ん中の顔見世のところでは、汐美真帆の歌う歌詞といい同期の安蘭との絡みといい寂しさが募る。
 大階段を使っての総踊りは女役さんがパンツルックというのは珍しいが、檀が少し中詰めから出番があいていたような気がした。湖月VS安蘭の踊りあいは合わせて踊るのではなく、少しずらして踊るところが面白く感じた。そして最後の湖月の「悪夢だ」という歌でこのショーのいわんとするところが良くわかる。

 といろいろ書いてきたが、いろんな人に目もいったし、安蘭ファンとしては満足でいいショーだと思う。博多座とどう変っているのか知りたくなった。荻田先生もこの路線ならショーも魅力的だと思うし・・・・なんといっても、ハイ、書きやすいです。

<金子のコラム>
今回は「お話は後でお願いできますか?」という話。
 「歌劇」にも以前載っていたのだが、観劇環境(?)の問題である。金子は花組・星組と連続してあった。問題は後ろの観客である。開演したら連れできていても話さないで欲しい。こちらは、貴重な1回の7500円なのである。チケットゲット難の東京ならもっと貴重な1回の観劇であろう。
 大体の場合は開演前からそんな気配がする。スターのこととか、筋のこととか声高に話している。さて、いざ開幕、となったらそれが終わらないのである。正直、筋に関してはプログラム、それを買いたくないのなら、改札の左右においてある買わない人用の紙を読んでいただきたい。で、開幕したら2人以上で筋の説明をしあうのが大体だ。この星組公演なら「昔を想ってはるねんで」とか。耳が聞こえない高齢者の場合はガイドイヤホンが借りられる。そちらを利用していただきたい。それもお金の負担が大きいのだろうか?
 しかし、こういう状況に陥ったら、いちいち立って劇場のお姉さんに言うわけにいかないから上の台詞が出てくるのだ。
 こんなことで正直、気を使いたくないのだ。有効に観劇したいものである。


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