星組バウホール「花のいそぎ」

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221. 星組バウホール「花のいそぎ」

ユーザ名: 金子
日時: 2004/7/26(11:33)

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 こんにちは。星組バウホール、行ってきました。チケット完売なので期待して行ったのですが、私の理解力が足りないのか「わけがわからん」で終わってしまい、感想書くのもPCの前で考え込んでいました。なんか、このところ日本物づいているので、洋物が見たくなってきました。コラムつきです。それでは、よろしくお願いします。

「花のいそぎ」
星組 宝塚バウホール公演
7月25日 ぬ列28

バウ・ミュージカル
『花のいそぎ』
作・演出:大野拓史

<解説>
 国史にも同一人物であるとは思われない数々の異なったイメージで知られる「小野篁(おののたかむら)」。平安初期の世に異彩を放つ篁が、後に知られる様々なイメージを帯びてゆく姿を軸に学生達の成長を描く。
 弘仁13年、夏。中級以下の貴族でも世に出る機会を得ることが出来る制度「文章生」の試験に及第し、文章院の学生となった小野篁は、時の最高権力者、右大臣・藤原冬嗣が催す「採花の宴」に、同窓の学生達と共に招かれる。「採花の宴」とは、科挙の合格者を招く祝宴で、その趣向は庭園で最も美しい牡丹の花を探す競技にあった。右大臣は、文章院生達と、藤原氏の子弟が学ぶ勧学院の学生達に、その「競花」を競わせようと考えたのである。だが、文章院生達は、庭園にまともな花がないことに気付く。全ては、文章院生達を辱めようとした、右大臣の嫌がらせだった。一門による権力支配を固めつつある藤原氏にとって、実力で世に出ようとする文章院生など、既得権を侵す邪魔者に過ぎないのである。しかし、その目論見を知った文章院生達は団結し、彼らに同情心を抱いたある娘の協力と篁自身が持つ、ある「力」によって危機を脱するのだった・・・・。
 真飛聖の、バウホール単独初主演作品。(ちらしより)

<主な配役> (プログラムより抜粋)
小野篁(文章生・官人・小野岑守の子):真飛聖
三の君(朝廷の高官・清原夏野の娘):琴まりえ
藤原常嗣(藤原北家出身の文章生):柚希礼音
清原夏野(朝廷の高官。三の君の父):萬あきら
藤原冬嗣(最高権力者・右大臣):一樹千尋
藤原良房(勧学院の学生。右大臣藤原冬嗣の子):嶺恵斗

<感想>
「なんだか、わけがわかったような、わからないような芝居だなあ」

 大野先生の作品、というと『更に狂わじ』のときはライブではぜんぜん意味がわからず(今回の隣の席の人も同意見)、CS放送で見て、「ああ、なんて難しい」と思ったのだが、今回は上に書いたように「わけがわからん」であった。

 結局、萬さんの歌詞にあった「とらわれている」若者たち、を描きたかったのだろうが、三の君と常嗣の家柄にとらわれる、というのはわかる。しかし、篁の「超能力」にとらわれる、という苦しみが超能力など持ち合わせていない一般人にとってぴんとこず、「なんだか悩んでいるなー」くらいがせいぜいの理解だ。この「超能力」というのは、他人の怪我を癒すとか、死んだ人をも生き返らせる力、というのだが、あまりにも現実離れしていて、もう少し観客が共感しやすいキーポイントを持ってこないとだめだと思う。

やはり、歴史上有名人物でない人を主人公に持ってくるなら、ロマンと夢を中心に当てたほうがいいと思う。しかし、演出だけされている『飛鳥夕映え』も脚本が柴田先生だから「わかりにくい」という感じはないが、歴史上マイナーな人物大放出では事前知識がないので、わかりやすい芝居をやってもらわないとどうも困る。『飛鳥夕映え』にひきつづき同じ印象を受けた。

それと、大野先生の演出は上演時間より長く感じる。1幕も70分とのことだったが、105分ぐらい見ている感覚がした。テンポよく舞台を進めるのは若手の先生全体に弱いような気がするので、これは大切な要素だからご考慮願いたい。

 終演後、劇場から降りてくると、もう1枚持っていたのだろうか、次の週のチケットをサバいている人がいて、まあ、金子も「2回はいいわ」と思った。60点。以下は人別に。

 真飛聖。知的で才能にあふれているのに、自分の血に流れる「超能力」ゆえに、ただですら青春はもやもやしたものなのに、その上心に壁を立てさせられてもやもやしている、というあまりすっきりとしない人物像だ。とても『雨に唄えば』のリナをやっていた人と同一人物と思えないほど(あれも彼女の代表作だと思うが)すっきりとした二枚目で、「ああ、これもこの人のもつ魅力なのだろうな」と思った。かわいそうに思ったのは、上に書いたように、キーポイントが「超能力」なのでそれで悩むのだが、どうもこちらに理解しがたく、また、「超能力」を使わなければ、別に勉学の才能を発揮してもいいのではないか、という矛盾も感じた。全体に押さえ気味にやらないといけないので大変だと思うが、感情をあらわにする、三の君と逃げるところ、三の君の死(あとで自分で生き返らすのだが)のところではもっと激しい若さをぶつけてもいいと思った。初主演としては破綻なく、安心してみていられ、目立つ同期に隠れてうまいこと実力を付けたな、と思った。昔から、目立つ同期に隠れてうまく実力をつけて、ひょいと出てくる人はいる。例を挙げると、天海祐希〜姿月あさと、現在なら霧矢大夢〜彩吹真央、というところか。真飛もこの路線で上手くいっているな、と思った。

 琴まりえ。素顔がかわいい人なので、もう少しメイクが上手くなったらもっといいとおもったが、三女ののびのびとして、考えていることも臆面なく口に出す、まっすぐな女の子が、家と家のつながりのため、正妻にもなれずに親に言われるまま結婚しなくてはならない、だんだん名家に生まれた女の悲しみがわかってくる。でも、やはり篁が好きで、最後は逃避行してしまう、という人物だ。はじめはずばずばものを言うのだが、それもかわいく見えたし、最後に篁に「(生き返らせてくれたら、あなたのことを忘れてしまうから)このまま死なせて」というところは女の一途さを感じた。歌も安定しているので、本公演でこれから使ってほしい人材だ。

 柚希礼音。藤原のお坊ちゃんであるのに、それに逆らい、一見豪放磊落に見えて、実は昔の失恋もあり意外と繊細、という史書にあるイメージを裏切らない人物像だ。柚希で最近おもうことは、大枠で役をつかむことは優れているとおもうが、もう少し、歌詞の意味を考えて歌う、とか役の内面を緻密に分析する、という精密さがこれからは必要だとおもう。今回は残念ながら「こう見えて、俺も繊細なんだぜ」というのにあまり説得力がなかった。新人公演をやっているうちにもう一伸びすればいい男役に育つとおもうのだが。

 萬あきらさんと、一樹千尋さん。この2人のシーンはすごく厚みがあって流石専科だな、と思った。萬さんは家名の隆盛のため、娘を犠牲にしなくてはならない父親としての心、一樹さんは、時の最高権力者といての重み、がよく分かった。やはり、専科の方に出演していただくと芝居が引き締まる。

 嶺恵斗はこれからの藤原家の隆盛を引っ張ってゆく人物なのだから、もう少し権力に執着する悪役に徹したほうがいいと思った。台詞の声が太くなれば代わると思うのだが。
 
 最後に帝に仕える巫女の長の彩愛ひかるとその弟の夢乃聖夏の存在感と、嵯峨帝の皇女の南海まりの透き通った声が印象に残ったことをあげておきたい。

<金子のコラム>
 また、大劇場の話になってしまうが、今回は「大劇場SS席設定」。
このコラムでも前から言っていたように、2階と同じ料金はおかしいと思う。それに、ここ10年チケット代の値上げはないのだから、時が来たか、とも思う。あとは、行く人が財布と相談して席種を選べばいいと思う。金子はよほどのご贔屓が出演しない公演以外はS席で行くつもり。10000円だすより、何度も行きたいから。しかし、ここで見えてきたことがある。近々の1階S席の値上げ。東京並みに8000円となるだろう。これはつらい。もう、行く回数を減らすしかないだろう。2階のS席は7500円で十分だ、いや値上げに値しない。しかし、値上げも結構だが、当日券の値引きも考慮すべきだと思う。現在「サマー・チケット」とかの企画をやっているが、あれを通年やればいい。学生だけに限らずに。A席・B席でも安ければ人は来ると思うし、人間が座らない分値上げに押し付けるのはどうか、と思う。最後に、「あー辛いな、S席8000円になったら」。


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