[掲示板: ミュージカル一般 -- 時刻: 2024/11/28(16:59)]
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こんにちは。yasukoさんの書き込み、読ませていただきました。でも、自分で書いてみると、結局自己流になってしまって・・・。それでは、よろしくお願いします。
「ファントム」
宙組 宝塚大劇場公演
5月31日 1階15列67→父と観劇
6月3日 1階6列50→母と観劇
6月10日 1階13列61
三井住友VISAミュージカル
「ファントム」
脚本/アーサー・コピット
作詞・作曲/モーリー・イェストン
潤色・演出/中村一徳
翻訳/青鹿宏二
<解説>
ガストン・ルルーの小説「オペラ座の怪人」を題材に、母親にしか愛情のこもった目で見つめられることがなかった苦渋に満ちた人生を送る怪人の心の葛藤を描いた作品。
19世紀のパリ、オペラ座通りで歌いながら楽譜を売る少女クリスティーヌは、ある日オペラ座でレッスンを受けるよう取り計らわれる。オペラ座では支配人のキャリエールが解任され新支配人としてショレが、彼の妻であり新しいプリマドンナのカルロッタと共に迎えられた。キャリエールは、この劇場には幽霊(ファントム)がいるとショレに告げ去る。一方、オペラ座を尋ねたクリスティーヌの歌声を聞いた地下に潜むファントムは、その天使のような歌声に母親を思い起こし、彼女の歌の指導を始める。クリスティーヌの若さと美しさに嫉妬し、自分の衣装係にしたカルロッタは、クリスティーヌを潰すために罠を仕掛ける。
怒ったファントムがクリスティーヌを奪い去る。それはクリスティーヌへの愛情の表現にほかならなかった。しかし、それがやがて彼を悲劇の結末へと向かわせることとなる・・・。
(ちらしより)
<メインキャスト>
ファントム(オペラ座に潜む怪人):和央ようか
クリスティーヌ・ダーエ(オペラ歌手を目指す少女):花總まり
ジェラルド・キャリエール(オペラ座の前支配人):樹里咲穂
フィリップ・ドゥ・シャンドン伯爵(オペラ座のパトロンの一人):安蘭けい
アラン・ショレ(オペラ座の新支配人):鈴鹿照
カルロッタ(新しいプリマドンナ、ショレの妻):出雲綾
<感想>
「これは泣けるぜ」(終演後の父の第一声)
いろいろ書く前に、上の言葉を吐いた父はもちろん、金子の周りの人間もかなり泣いている公演なのである。金子自身は、もともと涙腺が弱くないので感動はしたが泣かなかった。しかし、あまり周りが泣くから、泣けない自分が変に思えてきてしまったぐらいだ。正直、父が宝塚を観て泣くとは思わなかった。また、こういうわけで新聞の劇評も上々だし、平日3時公演でも立ち見が出るほどの盛況ぶりだ。3回チケットが取れたのがラッキーと思うしかない。
さて、「オペラ座の怪人」というと、同名の日本では劇団四季が上演している、ロイド=ウエバー版が有名だし(日本ではこのロイド=ウエバー版を「劇団四季の」とコピーしているので以下は「四季」で通す)、なじみが深いと思う。金子も四季のものは2回観たが、2回目で「ああ、これは完璧なミュージカルだな」と感心してしまった。音楽はほとんどの曲が1回で覚えられるし、装置もシャンデリアをはじめ豪華だし、歌も「四季歌唱専科出演」という感じでばんばん歌っているし、抜けがない印象を受けた。だから、今回の宝塚版(コピット=イェストン版、アメリカ版、というべきだが、『エリザベート』のように、完全に宝塚バージョンとなっているのでこれで通す)もほとんど期待していかなかった。結論は「やるな、宝塚」というところである。特にファントムをめぐる物語は細かく書かれていて好感を持った。
さて、その物語だが、ファントムの生まれたいきさつ、父と母、なぜクリスティーヌをファントムは自分のものとしたかったのか、など宝塚版はファントムに対しての疑問はほとんどない。特に父と親子の名乗りをする場面は感動的だ。歌うファントムの和央、キャリエールの樹里は歌唱力がある同士なので余計いい。ここが日本人向けには一番のハイライトだろう。(父が泣いていたのはこの場面)歌詞もシンプルな言葉だが雄弁だ。また、クリスティーヌにしても、最後は醜くともファントムを愛する女性として、ファントムと対等に描いていてヒロイン像が鮮明だ。しかし、そのぶんフィリップとのやりとりや場面が減ってしまったのは仕方がないかもしれない。四季のより物語の根幹がしっかりした脚本になっていると思う。
構成だが、ダンス場面も多く、アメリカ版よりファントムも人前にちょろちょろ出てくるところなど出番を増やしてみるとか、上に書いた父子の関係、最後死んだはずのファントムの元にクリスティーヌが駆け寄るエピローグなどは(父に「いかにも宝塚的だな」といわれてしまった)など、日本人向け、宝塚的にアレンジしてあり、良かったと思った。『雨に唄えば』に続く中村一徳先生の潤色だが、上手いと思う。あれだけ観客を泣かせたら十分である。ただ、不満があるのはフィナーレだ。短くてしょぼい。なぜ、宝塚のミュージカルのフィナーレでは当たり前になっている、本編での曲を使わないのだろう。確かに、今回の曲は大曲でメロディアスなものが多いので盛り上げるには難しいのであろうが、そこは編曲でなんとかならないものか。特にパレード前のデュエットダンスは「♪真珠取り」ではなくて、本編の「♪パリのメロディ」で2人が優雅にステップを踏むほうがいいとおもうのだが。フィナーレは、最初の思い切りスイングして安蘭けいが歌うところぐらいしか観るところはない。再演があるなら考えてほしい。
そして音楽だが、これははっきり四季版に負ける。1発で覚えられる曲は少ないし、自分で歌ってみてもキーが広くてオペラの曲のような感じだ。だから、ソロのあるメインキャストは良く歌っていると思う。ただ、すべての曲名をプログラムには書いて欲しいし、歌詞もキャリエールとファントムの銀橋での親子の名乗りの歌詞が書いてないのは大きな手落ちだ。「ル・サンク」を買うお金がある人ばかりではないのだから。少なくともすべての曲名の原題と邦題を書いて、それがどの場面で歌っているかプログラムに書くべきだと思う。父が家に帰って、「あの銀橋での親子の名乗りのシーンの歌詞わかる?」と聞いてきたので、「プログラムに書いてないの」といったら「駄目だな」と言われてしまった。写真を減らしてもいいから歌詞も一杯書いて欲しい。
装置だが、確かにシャンデリアは四季に比べて貧相だが、後はシンプルでパリを連想させられるし、総じて良かったと思う。船が上手と下手へ動き、そして最後は競りあがるようになっているのは装置の先生の努力だろう。個人的には最初のオペラ座の屋上を思わせる背景がファントムの心の闇を表しているようで好きだった。
次に菊田一夫賞もとったゴールデンコンビ(和央・花總)だが、相変わらず絵図らは宝塚随一だ。パレード前のデュエットダンスを観ていた父が、隣で「綺麗だなー」とため息を漏らしていた。芝居において今回はいつも以上にがっぷりよつに組んでいて「二人の世界」みたいなものが強固に出来上がっていて、ほかの誰もが入れないような感じであった。このコンビならではの阿吽の呼吸のある演技になっていると思った。ただ、宝塚という世界、これが永遠に・・・といかないのが歴史であるのだが。
気になったのは、ファントムの「従者」とされている、『エリザベート』でいう黒天使みたいな存在の手下がいることだ。ファントムは孤独なのだから手下は要らないと思うのだが。原作にはあるそうだが、ファントムのあのばりっとした服とかは父親が差し入れてくれた、ということにしておけば理屈はなりたつのに、と思った。しかし、ここで気づいたことは、出演者の人数だ。主な役が少ししかないのだから、こうでもして役のある人数を増やさなければ仕方ないのだろうか。よく考えてみたら、この演目、宙組の半分のメンバーでやれそうだからである。メインキャスト以外の人の使い方は一番難しいところだろうな、と思った。
新聞(読売新聞)に早くも再演の話が出ていたが、確かに再演したら『ベルサイユのバラ』、『エリザベート』についで安定した観客動員が望める演目であると思う。版権の問題もあるだろうが、キャストを変えてまた早い再演を願いたいものである。あとは人別に。
ファントムの和央ようか(タカコ)。歌は高音を得意とする人だけによくでていた。持てる歌唱力の全部を使った感じだ。ファントムというのは世間に出ないので、愛する人間に対しては究極に優しく、憎むべき人間に対しては究極に殺意に結びつくほど憎悪する。プログラムに述べているように人間の持つ感情の究極で生きている人間だと思う。役作りに関しては、普段はいつも大枠から捉えて役を作っていく人だと思っていたが、今回はファントムの孤独さ・繊細さから綿密に計算をして役を作り上げた印象を受けた。特に、クリスティーヌに請われて顔を見せるものの、逃げられてしまい落胆するところの演技は繊細で見所だった。また、10日はキャリエールに対して、自分の人生について「これでよかったんだ」というところは、言う前に感情がこみ上げたのか、台詞の前に少し時間があった。渾身の演技といえるだろう。こういうのを「タカコさんならではの役」というのだろうな、と思った。
クリスティーヌの花總まり。この人も高音がよく出ていたし、実力から考えても十分やりこなした。クリスティーヌは天使のように美しく、清純で、声も天使のように美しい、という宝塚のヒロインの典型的な形だと思うが、花總のいろいろな役を経てこその今回の人物造形には神々しささえ覚えた。心の美しさが伝わってきたというか。完璧だ。
キャリエールの樹里咲穂。この宝塚版では、一番のキーポイントとなる役だ。ファントムの父であるのだが、父親であると言い出せず、ひそかに彼を育て、見守り、やっと名乗りをしたが、最後には捕らえられて見世物にされるぐらいなら、とわが子を殺してしまう、という重厚さが求められる役である。樹里もいろいろな役をしているが、この役は代表作になる、といっていいだろう。2幕が中心だが、先に書いた銀橋での場面は感動的だし、最後にわが子を撃った後の表情は悲痛で、こちらの胸に迫った。再演するならこの役はまた樹里にお願いしたい。
フィリップの安蘭けい(トウコ)。お金持ちのお坊ちゃんで、その上二枚目のプレイボーイ、という役である。正直安蘭がやらずとも、宙組の若手の歌のうまいのにやらせておけばいいか、と思うほど四季に比べて軽いが、そこは安蘭、存在感を出していた。しかし、どうやってもこの役は目立たなく、歌も1人明るい歌で、えらく軽い役だと思った。ファンとしては、上に書いたフィナーレのソロがなければ不満爆発、ああ星組に出ておいてくれよ、という感じである。
ショレの鈴鹿照さんは、大分オーバーだが、権勢欲と妻の尻にしかれているところをよく出していた。背が低くていらっしゃるので、オーバーな演技が余計コミカルにみえる。
カルロッタの出雲綾。組長はいつも乳母とか脇が多いが、「やらせたらすごいな、この人」と感じさせた。カルロッタの傲慢ぶり、クリスティーヌよりうまく聴こえない程度の歌唱、と悪役カルロッタの人物像がはっきりしていた。
最後にファントムの母を演じた音乃いづみ。歌が上手い人だとは知っていたが、短い母の場面でも歌が上手くて印象に残り、一度長いソロを聴きたくなった。
いろいろ書いたが、是非再演を望む。そのときはキャストによっては4回行くかな。(梅田コマを1回いくのをやめよう)
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