[掲示板: ミュージカル一般 -- 時刻: 2024/11/28(16:40)]
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こんにちは。花組バウホールの感想です。今回はコラム付きです。どなかた、青年館で観られる方、「RE」をつけていただけませんか?なんか、このごろバウホールは書いてもさびしいのです。ではよろしく。
「NAKED CITY」
花組 宝塚バウホール公演
6月6日 は列4
バウ・ミュージカル
「NAKED CITY」
作・演出:小柳奈穂子
1950年代のニューヨークを舞台に、人生の裏街道を生きる男と、華やかさの裏に影を秘めた女優の愛を描くサスペンス・ロマン。
1950年代、ニューヨーク。ロウワー・イースト・サイドに住むカメラマンのビリーは、警察無線を傍受し、犯罪、事故、事件の現場に急行し、そのスクープ写真をタブロイド紙や写真雑誌に売り付けて暮らしていた。自らを自嘲的に“ビリー・ザ・フェイマス”と呼ぶ彼は、人々の欲望が裸のままむき出しになった街、ニューヨークのハイエナのような存在であった。
そんな彼の人生はある日、ハリウッドで活躍する人気女優、デイジー・ミラーと出会ったことによって動き出す。パトロンと噂される大物マフィア、ウィリアム・ウィルソンと共にハーレムのクラブに出入りする写真をスクープしたビリーの元に、その数日後デイジー本人が訪れ、彼に自分の過去に関係するある人物を探してほしいと言うのである。自分と同じく貧しい移民の子供であったデイジーに共感を覚え、また、その華やかな美貌に惹かれたビリーは彼女の依頼を受けるが、それは同時に、アンダー・グラウンドに渦巻くトラブルに足を踏み入れることでもあった。
彩吹真央のバウホール単独初主演作品。(ちらしより)
<メインキャスト>(プログラムより抜粋)
ビリー・フォッグ(カメラマン):彩吹真央
デイジー・ミラー(映画女優):遠野あすか
マイク・バインダー(ニューヨーク市警副長官):一樹千尋
ウィリアム・ウィルソン(大物マフィア。デイジーのパトロン):矢吹翔
ニコラ・ダッジ(ウィリアムの元手下):愛音羽麗
バーナード・スタイン(「「デイリデイリー・ニュー・ニューヨーク」の新米記者):未涼亜希
キャシー・レアマン(Dancing To Nightのダンサー):華城季帆
<感想>
「もっとハラハラ、ワクワクしたいねえ」
まず、去年の『アメリカン・パイ』の小柳先生の作品だからまったく期待せずに行った。一言でいうと、あれよりましだった。60点。
しかし、「サスペンス・ロマン」という割には、まず展開が速すぎるところとゆっくりすぎるところがあり、もっと全体にテンポが欲しい。話の筋があまり難しくないのはいいと思うが。それと、「愛」ですよ、愛。主人公とヒロインが最後に歌詞で「I LOVE YOU」といって、「さようなら」では、「おーい、結局デイジーはニコラのほうが好きなのか?」とさえ思ってしまった。一言で言うともっとラブラブになって欲しいというか。この「愛」を含めて書き込みが浅いところが気になった。例えば、
〔1〕 なぜビリーはカメラマン、そしてパパラッチの道を選んだのか?
〔2〕 デイジーがウィリアムと出会うまで、男から男へ乗り移らなくてはならなくなった理由はなんなのか?
〔3〕 はっきりしないのだが、デイジーとニコラは単なる「同胞」的な感覚でいるのか?
〔4〕 どこらあたりから、ビリーとデイジーは惹かれるようになったのか?
〔5〕 結局、ビリーとデイジーはこれからどうするのか?一時の出会いだったのか?
あと、上に書いたように、ヒロイン、デイジーは貧しい境遇の生い立ちで、男から男に乗り移る日々の後、ダンスクラブでウィリアムとであって女優にしてもらった、といういわゆる「汚れ役」なのだが、宝塚ですよ、宝塚。こんなにヒロインをダークにしてしまっていいのか?と金子の頭の中には「?」が飛んだ。あまりにもリアリズムすぎるというか。それに実際の遠野を観ていても、この人の「健康そうではきはきとしたお嬢さん」という芸質と反していて、「ちょっと上品過ぎない?そういう女には」と思ってしまった。今回はバウホールだから許されるのだろうが、大劇場なら絶対無理だ。現在上演中の『ファントム』のクリスティーヌなどこのデイジーの正反対のキャラクター設定である。せめて、貧しい境遇からダンスクラブでホステスくらいやっていて、そこへウィルソンが目をつけて、くらいの設定のほうがいいと思った。
最後に曲だが、割とジャズで難度の高い曲が多く、主演の彩吹は歌唱力があるのでうまく引き立たせている。どきりとしたのは、1幕の最後の曲は大地「真央」さんがサヨナラ公演で歌っていた曲なのだが、同じ「真央」という芸名の彩吹が歌うというのに因縁を感じた。彩吹はインプロビゼーション(いわゆるアドリブですね)もやれそうなので、ソロの曲はもっと自由に歌わせてもいい気もした。後は人別に。
ビリーの彩吹真央(ゆみこ)。パパラッチが職業で、物事をハスに構えていつも見ているようなやくざな男だ。その生き方は出たところ勝負で、投げやりであるという感じだ。彩吹は「少しのことでは動じない」線の太さをきちんとだしており、いわゆる「いかがわしい人物」が、デイジーとの事件によって、過去を受け入れ、事実を正面から見て前向きに生きていこうと変わるところが終幕では良くわかった。いわゆる「知性的二枚目」がよく回ってくる彼女だが、こういうやくざな役も守備範囲であることは花組の勢力として心強い。3拍子そろった実力派であるので、初主演といえども危なげなく見ていられるが、もう少し自分を大きく見せる技術が身につけばいいと思う。歌唱については上に書いたが、「もっと難しい曲でもかかってらっしゃい」という感じを受けた。
デイジーの遠野あすか。過去を封印し、心を閉ざし、現在は流されるままに生きている、という女優だが、上に書いたようにデイジーの人物像と遠野と、いや宝塚のヒロイン像がシンクロしにくい。過去があるというのはよく表現しているし、ビリーが「一晩付き合ってもらえないか」というと平然と「いいわよ」というのは「男ぐらいのことなら」という突き放した、元水商売の感覚を与えたが、正直宝塚のヒロインとしては難しいだろう。遠野は主演娘役以外なら安心してヒロインを任せられる人なので、歌などは十分なのだが大変だろうなと思った。あと、もう少し髪型に力を入れてほしい。
マイクの一樹千尋さん。単なる悪徳警官かと思ったら、ビリーの父で、という展開だったのだが、同じ専科からの五峰亜季の女性編集長にも言えるが、出番が少ない。もう少し出番を増やして、ビリー達を捨てた真意や後悔の台詞があってもいいのでは。せっかく出てもらっているのだからもったいない。
ウィリアムの矢吹翔。いやー、あなたにぴったりだよ、マフィアのボス。花組、いや、今の宝塚においてあなたの右に出る人はいない!(ご本人&ファンの方すみません)それほどはまっていた。タバコを手にドスを効かせて「女なんて馬鹿なものはいない」とか、デイジーを平手打ちするところなんか、完璧。
ニコラの愛音羽麗。デイジーのことを思い、死に直面していながらも、ネックレスを渡すまでは死ねない、という切迫した状況にある、マフィアから足抜けしようとした少しニヒルなラテン系二枚目である。割と出番は少ないのだが、いままでのフェアリーイメージと違った線の太いところがでていて、「へー、変わったな」と思った。ただ、デイジーとの心の関係が深く書かれていないので、もう少しデイジーについて語る台詞があってもいいのでは、と思った。フィナーレで主題歌を歌っていたが、まだ彩吹には及ばないなという感じだった。わりとなんでもこなす人だが、歌唱力に力を入れるといいかもしれない。
バーナードの未涼亜希。お坊ちゃんの弱腰新米記者がビリーと共に行動するうちに、人生のあり方を知り、小説化志望からジャーナリスト志望になりたいと思う、裏がない人物だ。未涼はストレートな演技で好感を覚えた。それと歌もいける。この役を狂言回しに持っていくと話の筋がもっとすっきりすると思うのだが。ただ、上の愛音同様、この人もどれもそろっている感じがして、「未涼ならこれ」というものをつけることが早急の課題だと思うが。
キャシーの華城季帆。CSでおなじみの人だ。ビリーの愛人なのだが、水商売の女なら、もっとそれらしい蓮っ葉なところがほしかった。歌は高音が良く出ている。声がきれいなのがいい。
いろいろ書いてきたが、30人の出演者では大変だろうが、初主演という危うさがなくそれなりに観ていられる公演だと思った。今回はここまで。
<金子のコラム>
バウホールで大劇場の話もそぐわないかもしれないが、今回は「客席なだれ込み」の話。今年の始めから、毎公演スターが客席に出ている。しかし、大劇場は2階席もあるのだ。そこのところ考慮してほしい。出るのが悪い、とは言わない。問題は範囲である。金子の考えるところ、1階5列までなら許せる。2階席から見えるし、「あーいい席をゲットした人の特権だね」と納得できると思う。しかし、これより後ろ(20列まで)へ主演スターが行ってしまうと、1階A席の人はいいが、2階席は蚊帳の外だ。ましてや、鬼ごっこなどやるべきでない。(『天使の季節』)2階が当たるとか、人気公演などは2階でも観られたらいいのだから、演出家は考えてほしい。2階も人がいるのですよ。
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