[掲示板: ミュージカル一般 -- 時刻: 2025/4/22(01:53)]
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こんにちは。はじめまして。きょきょ@京都在住です。
ミュージカルについては、今までは年に数回程度、東宝や四季・宝塚、あるいはロンドンで、というように、不特定かつ不定期に観劇する程度でしたから、その意味ではまだまだ初級者です。ただ、最近ヴォルテージが上がってきており、中級者への道のりも遠くないかしら…などと思ってみたりしております…甘いかな…。
はまったきっかけは、ウィーン・キャストによる「エリザベート」CD。過去に宝塚でもとりあげられ、昨年からは東宝でも上演されているようで、梅田での観劇に先立って予習でもしておこうか、と思ったのが「マチガイ」のはじまりでした。妹が星組公演を観ていて、なかなか面白かった、と聞いていたことももちろんきっかけの一つではありますが。
もともと趣味の分野はクラシック音楽、自らピアノとコーラスとドイツ語をやっているという私には、英米主流のミュージカル分野には珍しい、ウィーンで初演されたドイツ語の作品、というところに入りやすさがあったのかもしれません。
#ドイツ語は、やはりクラシック音楽には欠かせませんので、語学は苦手だけれど、細々勉強しております。
そういう私から見えるこの「エリザベート」という作品についての素朴な感想を少しだけ。なるほどロンドン・ミュージカルへの親近性は随所に感じられるのですが、同時に明らかにそれとは違う何か…大陸的とでも申しましょうか…を感じてしまったのでした。特有の語彙、言葉のリズム、そして何よりも死生感がいかにもそれらしいと思うのです。
冒頭の死者たちのアンサンブル、あそこで語られる世界にまず私は衝撃を覚えました。versinken(沈む)・Wahn(妄想)といった語に見え隠れする、ほの暗くて同時に甘美で憧憬に満ちた激情、まさしくこれは…と感じてしまったのです。何というのでしょう、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」にも通じるような、愛・死そして憧憬のうずまく世界に、私はこの作品を生み出した土壌というものをはっきりと認めることができました。世紀末のウィーンを思わせる音の旋回を聴くに及んで、この作品は、脈々と流れる文化的伝統の上に成立したのだ、と妙に納得してしまったのです。そもそも、トーテン・タンツとは中世以来の有名なモチーフ、「メメント・モリ(死を思え)」を基本としているあの国の人々には、すんなりと入ってくる概念なのだろう…。などと考えていくうちに、私の中にあった「たかがミュージカル的お気楽さ」がガラガラと音を立てて崩れてきました。
そうやって考えてくると、ミュージカルの翻訳とは、とても難しい要素を含んでいますよね。限られたフレーズに日本語を埋めていくことの難しさ。「黄泉の世界」とは、これまた随分短い訳語を選んだものだと感心すると同時に、もともと古事記や日本書紀で出てくる「黄泉」の語感に通じるものを払拭しきれない私、やはり我々は日本人なのだな、と思った次第です。
そういえば、エリザベートとトートが歌う最後の場面、あそこは宝塚・東宝ともに、歌詞の雰囲気がオリジナルとは決定的に異なりますね。よく翻訳できているとは思いながらも、言葉の背後にある世界観の違いが如実に表れていると感じてしまいました。
喋り出すと止まらない私、長くなりました。また機会があれば投稿いたします。
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