雪組大劇場「スサノオ」「タカラヅカ・グローリー!」

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186. 雪組大劇場「スサノオ」「タカラヅカ・グローリー!」

ユーザ名: 金子
日時: 2004/4/10(13:54)

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 こんにちは。『王家に捧ぐ歌』の木村作品&大御所岡田レビューの組み合わせで結構期待して行ったのですが、うーん。ショーの方はファン歴で大分感じ方が違うと思います。それでは宜しくお願いします。

「スサノオ」
「タカラヅカ・グローリー!」
雪組 宝塚大劇場
4月8日 1階10列51
4月9日 1階4列26

詩劇
「スサノオ」−創国の魁−
脚本・演出/木村信司

<解説>
 「古事記」の最初に登場する英雄スサノオの物語を通して、今一度日本はどういう国であるべきかを考え、問いかける勇壮な音楽劇。
 アマテラスが天の岩戸に隠れてしまった為に光を失った大和の国。そこでは作物の収穫もなく、森で鳥獣を食べて暮らす民がいた。しかし、そのために村の娘イナダヒメが大蛇・ヤマタノオロチの生贄になることに・・・。アマテラスが岩戸に隠れてしまったのは自らの暴力のせいだと悔やむスサノオは大蛇退治を引き受けるが・・・。(ちらしより)

<メインキャスト>
スサノオ(「古事記」の英雄):朝海ひかる
イナダヒメ(大和の国の民、アシナヅチの娘):舞風りら
アマテラスオオミカミ(太陽神。スサノオの姉)初風緑
アオセトナ(森の統治者):水夏希
アシナヅチ(イナダヒメの父):未来優希
月読(夜を司る神。スサノオの兄):壮一帆
アメノウズメ(芸能最古の神):音月桂

<感想>
 「ねえ、全部でいくつメッセージがあった?」

 まず、劇場に行って約90分、記憶とプログラムから拾うだけで次のような台詞(メッセージ)が次々と繰り出されたらどうだろう。

「人々は自分さえ無事なら、他の誰がどうなろうと気にかけない」
「人を恨むな、人のために生きろ」
「男と女に優劣はあるか?」
「ある人に対しての暴力は、その人に対しての愛情の裏返しだ」
「他国を滅ぼしたら謝れ、その罪は消えない」
「国が滅んでも守るべき平和とは?」
「人の痛みを自分の痛みとして感じられるように」
「人々に嘆きを与えたら、最後に傷つくのは与えた側だ」
「男女共に励ましあうのが未来への礎」
「力の時代は終わり、これからの大和(日本)は平和への魁となろう」

 政治を専門とする人なら、現在までの日本の歴史と、現在の世界状況をかんがみていろいろ思うところがあるだろうが、一般人には考えているうちに芝居が進んでしまう。後で考えても、たくさんあるので家でぐるぐる考えるが、もうきりがないので、最後だけとって「やっぱり、平和だねえ」で終わってしまう人がほとんどだろう。

 前にも書いたが、1つの芝居において、メッセージというものは1つがベストだと思う。その方が観客に理解されやすいし、訴えるテーマも明解だ。今回、これだけあると、一言で言えば「理屈っぽい」、もっと言えば「夢を求めて宝塚に来たのに政治の話など結構」となりかねない。実際、金子も「あー宝塚だ」と思ったところは、スサノオが赤いマントを翻しているところぐらいのものである。プログラムの木村先生の弁によると、このミュージカルは「神話を基にしたファンタジー」とのことであるが、到底そうとれない。2回観て家で思わずイラク問題で父と政治の話をしてしまった。50点。

 実は木村先生の前作『王家に捧ぐ歌』は数々の賞をとったいい作品だったし、今回は「古事記」を題材に、ということでかなり期待して行ったのだが、少し謝先生の作品のようになっているのが気にかかる。あくまでもエンターテイメントなのだから、娯楽ということをもう少し気にかけていただきたかった。

 あと、舞台構成の面から言うと、『鳳凰伝』からこちら、木村作品は「宝塚オペラ」の様相を呈しているように思う。つまり、役のある人は歌い、その他大勢はコーラスとダンス、と役割分担がはっきりしている。やはり、宝塚の芝居はミュージカルなのだから、役のある人も踊れ、というのはもうこの路線ができた以上、言っても無理なのだろうか。他の先生の作品との差を感じる。

 曲だが、これも『王家に捧ぐ歌』くらいいい曲がなく、主題歌の「♪大和よ」が日本らしい旋律で耳に残る程度である。

 セットは黒が基調で重苦しく感じたが、太鼓を使う、というのは迫力があった。ただ、ヤマタノオロチは人海戦術で小道具を回す感じなのだが、それが透明、ということもあってあまり怖く感じなかった。

 全体的に、デビュー作『扉のこちら』はどこにいった、と懐かしくなる出来で、このまま「政治路線」を突っ走るなら、木村作品も考え物だな、と思った。後は人別に。

 スサノオの朝海ひかる。まず外見からして、フェアリータイプといわれる容姿と鬘と衣装が上手くマッチして、人間の少年でもない青年でもない「神」という感じはよくした。しかし、このスサノオは宝塚の主役でも最近は悩む役が多いが、それでも「悩む役ベスト5」に入りそうに悩みまくる役である。まるで、現在の日本の膿をすべて飲み込んでいるみたいに。だから、男役らしく意志をはっきりというところが少ないのだが、名乗るところや、甦って剣を手にして狂うところや、最後の平和への宣言など力を込めていっており、木村先生曰く「誠実な」雪組のトップらしく、堅実に演じている印象を受けた。また、死ぬところ、目を空けたまま息絶えるのは宝塚らしくて好感が持てた。歌唱も大分伸ばすところが良くなっており、歌が多いので千秋楽まで喉をつぶさずに頑張って欲しい。

 イナダヒメの舞風りら。気丈で前向きな考えを持った女の子である。まず、父のアシナヅチが死ぬ場面では2回とも涙を流しており、花組の頃に比べて感情表現が豊かになったな、と思った。歌はもう少し高いところを声量豊かに張ってほしいが、まあ及第点だろう。ダンスだけではなく、もう少し歌唱力にも自信を持てばよくなる問題だと思うが。古代でも女の方が精神的には男より強いのだな、ということが良く分かるが、出すぎず上手くスサノオの心を支えていたと思う。あと、衣装可愛い。(着たいとは思わないが)

 アマテラスオオミカミの初風緑。神様の中の女帝なのだが、まず高いキーはぎりぎりだがなんとか出ていたと思う。台詞の声も神様らしくゆったりとしていて、アオセトナの化身となっているときと違いがでていた。特に最後、スサノオを見守る目は、姉というより母という感じだった。これで5組制覇ということで専科は大変だな、女役も回るし、と現在2人になった、いわゆる「スター専科」のありようを考えてしまった。

 アオセトナの水夏希。いわゆる「負」の部分の真ん中にいる、大和を見捨てた民にとっては新興宗教の教祖のような存在なのだが、なかなか妖しい雰囲気で出番が短い割に存在感は十分あった。ただ、もう少し歌詞がはっきりわかるといいのだが。

 アシナヅチの未来優希。これも出番は少ないのだが、こちらも毎回泣いており、民をまとめる人の徳、というものを感じさせる役作りだった。この人はなにをやっても危なさを少しも感じさせないところが特徴だろう。

 月読の壮一帆。初舞台生の口上の後にアナウンスもなくいきなり出てきて芝居を始めるのだが、客を見る目線など先のバウホール公演で得たものが大きいと感じた。特にスサノオが息絶えるとき「兄弟ー!」というところは良かった。

 アメノウズメの音月桂。「男でも女でもどっちでもいいのよ」という設定だが、もう少し裏声がでないと「どっちでも」とはいかない。キザってみせたり、急に可愛く見せたりしているのが面白くてこの芝居の中ではカンフル剤となっていた。

 と色々かいてみたが、何か理屈っぽい芝居だったな、というのが一番の印象である。

グランド・レビュー
「タカラヅカ・グローリー!」
原案/小林公平
作・演出/岡田敬二

<解説>
 宝塚歌劇90周年の記念レビュー。第90期初舞台生を交えた90名による大ラインダンス、感動的なストーリーダンスシーン、エネルギッシュなゴスペル風のシング&ダンスシーン、黒燕尾姿の男役によるフィナーレ等々、華やかでスペクタクルに満ちた宝塚的な大型レビュー作品。(ちらしより)

<感想>
「宝塚レビューの『偉大なるマンネリ』永遠に」

 4月8日はヨーロッパ系とアジア系の外国人団体が観に来ていて、終演後「ファンタスティック!」とか言っていたので上のように書いたが、見慣れている宝塚ファンにとっては斬新なところがなく、90周年だからこそ、なにか100周年につながる新しい発見が欲しかった。しかし、初めて宝塚を観る人には「宝塚の売り」というものがすべて入っているショーなので楽しめるだろう。「宝塚アンソロジー」といったところか。ファン歴によって感じ方が大分異なるショーだと思う。ただ、ファン歴が4月で28年となる金子としては60点。「黒燕尾の総踊り」などいつ観ても見飽きないものではあるのだが、「なにか新しいもの」がないのは進歩がないような気がする。上演時間が1時間と長めで、たっぷり「宝塚でこその『売り』」は楽しめるショーだ。

第2章 タカラヅカ・グローリー!
 初舞台生のロケットに続き雪組全員の宝塚賛歌、というところか。ああ、始まるぞ、という感じ。こういう場面の衣装は全部新調でなくてはね。新調でした。

第4章 虹を追って・・・
 はっきり言って、一番しょうもない場面で、こんな場面削って『スサノオ』にもう少し楽しい場面をつけてよ、という感じ。一路真輝のリサイタルでもこういう設定やっていたし・・・。別になくてもショーは成り立ちそう。

第5章 ゴールデン・デイズ
 一言で言えばオペレッタの場面。ここで『シトラスの風』の衣装が出てきて、「えー、90周年記念のショーで使いまわしか?」と少々がっくりきた。歌は「♪セレナーデ」を未来優希がしっかり歌っており、彼女は黒燕尾の総踊りの最後でも「♪清く正しく美しく」をきちんとしめており、確かな歌唱力だ。また、カーテン前の歌のラテン語は少々違和感がある。舞風が芝居に引き続き歌が多いが彼女らしく誠実に歌っていた。また衣装のことをいうが、朝海のプリンスの衣装ぐらいもう少しゴージャスにならないものか。いっそ白い軍服とか。この場面も「宝塚らしく」終わった。

 この章の最後に水の銀橋でのソロがあるのだが、岡田先生の名作『ダンディズム!』の「ハードボイルド」の縮小版のような感じで(衣装も同じストライプのスーツだし)、歌唱力よりも水の粋な仕草にファンではないが「やられた」と思った。水に残った課題はあと歌だけだ。

第6章 血と汗と涙、そして生命
 なんか、章名からして凄いが、ようするに「ソウルフルなダンス&ソングシーン」ということである。これは『シトラスの風』の「明日へのエナジー」のバージョンアップ版という製作意図だそうだが、焼き直しという感じでそう感動しなかった。やはり、この組では「シンギング隊」というのが弱くて、美穂圭子一人に頼ってしまうのが難だ。よく踊っていることは分かるのだが、1階10列・4列でみてもあまりエネルギーを感じ取れなかった。ある意味、これは雪組、という昔から「仲が良くて優等生組」というイメージがまだあって、それがマイナスに働いてしまったのかな、と思った。

第7賞 ロマンス
 ここは「現在の雪組の売り」の朝海&舞風のデュエットダンスの場面だ。「綺麗」、この言葉しかないだろう。

第9賞 清く正しく美しく 
 最後に出ました、黒燕尾の総踊り。今度は「♪清く正しく美しく」の曲に乗ってのダンスだが、朝海の端正にステップを踏むところはこの人らしい。こういうシンプルな場面は一番安心感がある。金子が思うところ、宝塚のショーの一番の「売り」はこの黒燕尾だと思うのだが、どうでしょう。

 どの場面も「いままであった」場面で、あまり書くこともなく終わってしまった。宝塚というものを観たことがない人、観てみたい人、宝塚初心者を連れて行くには最適のショーかもしれない。でも、長年のファンとしては噛み応えがなかったなあ、というのが本音である。これで終わる。


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