劇団四季「アイーダ」

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171. 劇団四季「アイーダ」

ユーザ名: 金子
日時: 2004/2/11(15:33)

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 こんにちは。やっと「アイーダ」に行ってきました。祝日の前日だったせいか、平日夜にもかかわらずチケット完売。大阪発でも完売ってのは嬉しいですね。ただ、観ていた人ほとんど全員、宝塚『王家に捧ぐ歌』を観ていたようでした。また、長いですがよろしく。

「アイーダ」
劇団四季ミュージカル
大阪MBS劇場
2月10日 1階C列28番

企画・製作/日本語版歌詞・台本:浅利慶太

<当日の主な出演者>
アイーダ:濱田めぐみ
アムネリス:佐渡寧子
ラダメス:阿久津陽一郎
メレブ:山添功
ゾーサー:飯野おさみ
アモナスロ:川原洋一郎
ファラオ:岡本隆生
ネヘブカ:石倉康子

<感想>
「『対立する国家』と『2つの思想』をも乗り越える不変の愛の力」

 席が良かったせいもあるのか、ものすごくじっくり観た感じがする。それと同時に、昨年CS放送で見たオペラと宝塚星組『王家に捧ぐ歌』と比べてみていた。普段は他の演劇と比較して感想は書かないのだが、今回はこの3つは題材が同じなので、少しは比べて書いてみようと思う。

 全体的に観て思ったことは、四季においてはアンサンブルの人は踊りとコーラス、役がある人は歌、と分業化されていることが舞台を芸術的に高めていることだ。これは四季ではどの舞台でもそうなのだが、それが四季の舞台におけるクオリティの高さを保つ秘訣なのだろう。よって主要キャストは歌唱力がある人ばかりなので聴き応えがあったし、アンサンブルの人も色々な役を少人数でよくこなしているのは「プロ」という感じがする。ただ、一方、キャストが決まっていないことによって俳優は役に自分を近づけるしかなくなり、「俳優の個性」というものが見えてこないのがいつも四季の舞台を観て思うことだ。今回の『アイーダ』のような舞台は個性云々の問題でなく、役をいかにきちんとやるか、にかかっているので四季の方法が妥当だろうが、演目によっては「個性重視」もありえるのではないか、と1月から3つ四季の舞台を観て思うことである。

 筋においては、オペラから大分変わっている点は
〔1〕アムネリスとアイーダが友達になってしまうこと
〔2〕ラダメスを利用してファラオになろうと策略する、ラダメスの父ゾーサーがいる
の2つが大きいと思うが〔1〕の方はプログラムを読んで、「へえー」と思った。しかし、そうすることでアムネリスという女性を心が広い現代のセレブリティに近くしているとあったので「なるほどな」と思った点である。〔2〕の方は、ラダメスが決められた運命から逃れられない鎖をより大きくかけているような設定だと思った。大分、オペラ→宝塚より筋が大人向きになっているなという印象を受けた。ただ、「ヌビアの民よ」という国家の独立の尊重は良く分かったが、なぜ愛しあうラダメスとアイーダが幸せに結ばれなかったかの本当の理由は、母国が敵対しあう同士だからである、という大本があまりみえてこなかったのは残念だ。エジプトとヌビアが敵対していなかったらアイーダとラダメスは結ばれることができる、ということを台詞の中でもっと言って欲しかった。それを考えると最後の最後まで、アイーダが自分はヌビアの王女だということを隠しているのがあまりいいとは思えないのだが。「平和」という視点においては「この世に〜平和を♪」と歌い、ちょっとラブロマンに欠けた宝塚の方がはっきり書かれていたと思う。しかし、ラブロマンにおいては、初めは反目し会っていた二人が、段々互いのことが気になって、最後に愛し合う、というプロセスはこの四季の舞台はきちんと描かれていて良かったと思う。一言で言うとオペラから大分大人向きのラブロマンス中心の筋になっているというべきだろうか。

 次に音楽だが、トニー賞の音楽賞をとっている作品になにをいうか、と思われるかもしれないが、1曲も1回で覚えられる曲が無いのは少々残念だった。全体にポップロックの曲調で、あとゴスペル、という感じでもっと耳障りのいいバラードなどあればいいのに、と思ってしまった。帰りに駅までの道で、宝塚の歌を鼻歌で歌っている人がいたのだが、レベルは低いかもしれないが、宝塚の歌は覚えやすく、元々が日本語から作っているので、芸術祭優秀賞の価値はあると思った。ブロードウエイの方で、いい新曲が追加されたら使うべきだと思った。

 しかし、東宝ミュージカルほどではないが、「寄せ集め」的なカンパニーの四季において、一幕の最後の「♪神が愛するヌビア」はとても迫力のある歌声で、前で観ていたせいか鳥肌物だった。また、アムネリスの「♪お洒落は私の切り札」はファッションショーの感覚もあり楽しかった。アイーダの歌では、ラダメスと別れなければならないと歌う「♪星のさだめ」(だとおもうのですが、もう少しプログラム詳しく書いてください)が心にしみた。

 それでも観た当日は満員御礼でそれだけの価値はあるミュージカルだと思った。こういう水準の高いミュージカルが宝塚以外でも大阪発信で行われるのは関西人として喜ぶべきことである。後は人別に。

 アイーダの濱田めぐみさん。とにかくパワフル。歌に関しては、よく1ステージ持つな、とプロに対して変なことを思ってしまうが、低音がいい。ゴスペル調の曲が良かった。歌から示される圧倒的な迫力のタイトルロールだった。ブロードウエイでは黒人の人が歌う歌をあんなに歌うなんて凄いなと思った。演技でも、アイーダの意志を貫く気丈なところと、思慮深さが良く出ていたと思う。また、ラダメスに対しても反目しながら愛し合うようになる過程は分かりやすかった。ただ、欲を言うならもう少し女らしさがあると、ラダメスが段々心惹かれる過程が理解しやすくなるとおもうのだが。ブロードウエイ版はアメリカだから、女性がこれぐらい肩肘を張っていてもいいのだろうが、日本ではもう少しかわいらしいところがある方が受け入れられやすいと思うのだが。まあ、これは版権の問題でどうこういえるものではないのだが。

 アムネリスの佐渡寧子さん。アムネリスの「いつも自分が最高の女でなくてはならない」という享楽の陰の「でも、所詮ただの人間」というセレブリティの悩みから、アイーダとラダメスが愛し合っているのを知りながら結婚式に臨み、最後は自分が2人を石室に閉じ込める、という女性として短時間に成熟していく様を示す、いい役だと思う。宝塚は知的で分をわきまえた女性、という感じだったがそれより深まっている。佐渡さんは始めのお洒落のところのバカっぽさから最後に石室に閉じ込めて「♪愛の物語」を歌うところまできちんとその場その場のアムネリス像を考えた演技で好感が持てた。ただ、アイーダに対してもっと高音で歌ってもらえるともっといいのだが。

 ラダメスの阿久津陽一郎さん。伸びのある歌声と女性では表しえない男らしさで「将軍」として地位を確立している男を表現していた。アイーダに対しても、始めは高圧的な態度で接するが、自分の非を認め、愛するようになるまで濱田さんと上手く呼応していた。また、父親に対しても、従うのではなく、最後はその策略を退ける、というただの操り人形でない意志の強さをだしており、適役だと思った。

 メレブの山添功さん。口は軽いが、忠誠心があり、世渡り上手な、アイーダを助ける今はラダメスの奴隷のヌビア人であるが、これは儲け役で最後に殺されるところは哀れを誘った。これも四季版で初めて出てくる役であるが、山添さんもまた丁寧に演じており、好感を覚えた。

 ゾーサーの飯野おさみさん。自分がファラオになろうと陰で策略をめぐらすラダメスの父だが、おじさまなのに渋くてかっこよくて「色悪」という感じがした。歌も「♪ピラミッドをたてよう」など、歌詞がしっかりわかるので良かった。

 ネヘブカの石倉康子さん。小柄だが、台詞もはっきりしていて、一幕最後の「♪神が愛するヌビア」の高音部は声が良く通っていた。アンサンブルでも別格なのは当然だろう。

 これを書くべく、四季では初めてプログラムを購入したのだがかなり使わせていただいた。できれば、9月以降、『王家に捧ぐ歌』も一緒に見た母と一緒にもう一度観劇しようかなと思っている。


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